漢詩「初秋即事」(七言絶句)と漢詩「早朝観蓮」(五言排律)

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●原文:

 初秋卽事  玄齋 佐村 昌哉  大阪市

新 涼 秋 色 露 華 滋  落 葉 梧 桐 最 得 知

漸 洗 暑 威 殘 雨 後  亂 蛩 聲 韻 動 情 時


 早朝觀蓮   玄齋 佐村 昌哉  大阪市

早 曉 蓮 花 見  江 邊 來 小 池

好 風 傳 樹 木  健 脚 上 塘 陂

點 點 丹 英 蕾  盤 盤 翠 蓋 枝

葉 舒 盈 迤 邐  蛙 吠 起 漣 漪

玉 露 含 香 墜  仙 葩 映 日 披

出 泥 君 子 趣  浮 水 美 人 姿

脳 裏 行 吟 事  襟 中 作 句 時

壯 觀 揮 醉 筆  欲 盡 酒 兼 詩


●書き下し文:

 題:「初秋(しよしう) 卽事(そくじ)」

新涼(しんりやう)の秋色(しうしよく) 露華(ろくわ) 滋(しげ)し
落葉(らくえふ)の梧桐(ごどう) 最(もつと)も知(し)るを得(う)

漸(やうや)く暑威(しよゐ)を洗(あら)ふ殘雨(ざんう)の後(のち)
亂蛩(らんきよう)の聲韻(せいゐん) 情(じやう)を動(うご)かす時(とき)


 題:「早朝(さうてう) 蓮(はす)を觀(み)る」

早曉(さうぎよう) 蓮花(れんくわ)を見(み)むと
江邊(かうへん)の小池(せうち)に來(きた)る

好風(かうふう) 樹木(じゆもく)に傳(つた)はり
健脚(けんきやく) 塘陂(たうひ)に上(のぼ)る

點點(てむてむ) 丹英(たんえい)の蕾(つぼみ)
盤盤(ばんばん) 翠蓋(すいがい)の枝(えだ)

葉(は) 舒(の)びて迤邐(いり)に盈(み)ち
蛙(かへる) 吠(ほ)えて漣漪(れんい)を起(お)こす

玉露(ぎよくろ) 香(かう)を含(ふく)みて墜(お)ち
仙葩(せんは) 日(ひ)に映(えい)じて披(ひら)く

泥(どろ)を出(い)づるは君子(くんし)の趣(おもむき)
水(みづ)に浮(う)かぶは美人(びじん)の姿(すがた)

脳裏(なうり) 行吟(かうぎむ)の事(こと)
襟中(きむちう) 作句(さくく)の時(とき)

壯觀(さうくわん) 醉筆(すいひつ)を揮(ふる)ひ
盡(つ)くさんと欲(ほつ)す酒(さけ)と詩(し)とを

「卽」の新字体は「即」、「殘」の新字体は「残」、「亂」の新字体は「乱」、
「聲」の新字体は「声」、「觀」の新字体は「観」、「曉」の新字体は「暁」、
「邊」の新字体は「辺」、「來」の新字体は「来」、「傳」の新字体は「伝」、
「點」の新字体は「点」、「壯」の新字体は「壮」、「醉」の新字体は「酔」、
「盡」の新字体は「尽」
「秋(しう)」の新仮名遣いは「しゆう(小書き文字を使うと『しゅう』)」
「涼(りやう)」の新仮名遣いは「りよう(小書き文字を使うと『りょう』)」
「華(くわ)」の新仮名遣いは「か」
「葉(えふ)」の新仮名遣いは「よう」
「漸(やうや)く」の新仮名遣いは「漸(ようや)く」
「威(ゐ)」の新仮名遣いは「い」
「洗(あら)ふ」の新仮名遣いは「洗(あら)う」
「韻(ゐん)」の新仮名遣いは「いん」
「情(じやう)」の新仮名遣いは「じよう(小書き文字を使うと『じょう』)」
「早(さう)」の新仮名遣いは「そう」
「朝(てう)」の新仮名遣いは「ちよう(小書き文字を使うと『ちょう』)」
「花(くわ)」の新仮名遣いは「か」
「見(み)むと」の新仮名遣いは「見(み)んと」
「江(かう)」の新仮名遣いは「こう」
「小(せう)」の新仮名遣いは「しよう(小書き文字を使うと『しょう』)」
「好(かう)」の新仮名遣いは「こう」
「傳(つた)はり」の新仮名遣いは「傳(つた)わり」
「塘(たう)」の新仮名遣いは「とう」
「點(てむ)」の新仮名遣いは「てん」
「蛙(かへる)」の新仮名遣いは「かえる」
「香(かう)」の新仮名遣いは「こう」
「出(い)づる」の新仮名遣いは「出(い)ずる」
「脳(なう)」の新仮名遣いは「のう」
「行(かう)」の新仮名遣いは「こう」
「吟(ぎむ)」の新仮名遣いは「ぎん」
「襟(きむ)」の新仮名遣いは「きん」
「中(ちう)」の新仮名遣いは「ちゆう(小書き文字を使うと『ちゅう』)」
「作句(さくく)」の新仮名遣いは「さつく(小書き文字を使うと『さっく』)」
「壯(さう)」の新仮名遣いは「そう」
「觀(くわん)」の新仮名遣いは「かん」
「揮(ふる)ひ」の新仮名遣いは「揮(ふる)い」


●現代語訳:

 題:「陰暦七月の秋の初めの、その場の事を詠んだ漢詩です」

 秋の初めの涼しさの中の秋の景色は、露の光が多くなり、
 葉を落とす梧桐(あおぎり)に、一番に(秋を)知ることが出来るのでした。

 次第に夏の激しい暑さを洗い流す、降り残りの雨の後に、
 乱れ鳴くコオロギの鳴き声の響きに、心を動かす時になりました。


 題:「朝早くに、蓮(はす)を眺める」

 朝早くに、蓮(はす)の花を見ようと、
 大きい川の側(そば)の、小さな池にやって来ました。

 気持ちの良い風が、立ち木に伝わり、
 丈夫で速く歩ける足で、堤防に上っていました。

 ぽつぽつと、(蓮(はす)の)赤い花の蕾(つぼみ)があり、
 巨大な、色と形が翡翠(かわせみ)の羽で飾った、車の上に立てた覆いの大きな傘のような、(蓮(はす)の)葉の茎がありました。

 (蓮(はす)の)葉が伸びて、連なり続く葉に満ち溢れて、
 蛙が鳴いて、漣(さざなみ)を起こしていました。

 美しい露は、(蓮(はす)の花の)香りを帯びて落ち、
 名誉や金銭に惹かれる気持ちを離れた気高い地の珍しい花(や草)のような蓮(はす)の花は、(朝の)日の光に照り映えて開いていました。

 蓮(はす)の花が泥から水面の上に出て、泥に染まることなく、茎が空に向かって真っ直ぐに伸びている姿は、汚れた流れと行動を共にせず、胸の内は心が大きく、小事に拘らない様子で、正しくて真っ直ぐな美しい徳を持つ、能力と徳のある君子(くんし)の風情があり、
 水に浮かんでいる様子は、顔形の美しい女性の姿のようでした。

 頭の中には、歩きながら詩歌を歌う事があり、
 胸の内は、詩句を作る時を感じていました。

 大きく立派な見物(みもの)に、酒の勢いに任せて詩歌を書に書いて、
 酒と詩歌を極めようと思いました。


●語注:

(以下、『新字源』は、2017年(平成二十九年)十月三十日発行の改訂新版を引用しています。)

(以下、WebサイトのURLは、ブログ上では一部を除いて省略しています。)

※初秋(しよしゆう(しよしう))(小書き文字を使うと「しょしゅう」):「秋の初め。陰暦七月の別称。」(『新字源』p.144)

※即事(卽事)(そくじ):「➀事につく。その事にとりかかる。②その場のできごと。目の前のけしき・ようす。③その場の事を詠じた詩。また『江村即事』などと詩の題名に用いる。」(『新字源』p.185)、ここでは、③の意味で用いています。

※新涼(しんりよう(しんりやう))(小書き文字を使うと「しんりょう」):「秋の初めのすずしさ。」(『新字源』p.597)

※秋色(しゆうしよく(しうしよく))(小書き文字を使うと「しゅうしょく」):「秋のけしき・けはい。」(『新字源』p.977)

※露華(ろか(ろくわ)):「光っているつゆ。つゆの光。」(『新字源』p.1484)

※梧桐(ごどう):「あおぎり。アオギリ科の落葉高木。皮は緑色。葉は大形。」(『新字源』p.668)

※暑威(しよい(しよゐ))(小書き文字を使うと「しょい」):「夏の激しい暑さ。猛暑〔もうしょ〕。炎威〔えんい〕。」(Webサイト『コトバンク』の「暑威」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十三日(木)))

※炎威(えんい(えむゐ)):「はげしい暑さ。」(『新字源』p.821)

※猛暑(もうしよ(まうしよ))(小書き文字を使うと「もうしょ」):「激しい暑さ。酷暑〔こくしょ〕。」(Webサイト『コトバンク』の「猛暑」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十三日(木)))

※酷暑(こくしよ)(小書き文字を使うと「こくしょ」):「ひどく暑いこと。真夏の激しい暑さ。」(Webサイト『コトバンク』の「酷暑」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十三日(木)))

※残雨(殘雨)(ざんう):「雨があがったあと、まだぱらぱらと降る雨。降り残りの雨。なごりの雨。」(Webサイト『コトバンク』の「残雨」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十三日(木)))

※乱蛩(亂蛩)(らんきよう)(小書き文字を使うと「らんきょう」):ここでは、「乱れ鳴くコオロギ。」という意味で用いています。

※声韻(聲韻)(せいいん(せいゐん)):「1 こえとひびき。また、こえのひびき。音韻。2 短歌の上下の句の終わりに同じ字がくること。」(Webサイト『コトバンク』の「声韻」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十三日(木)))、ここでは、1の意味で用いています。

※早朝(そうちよう(さうてう))(小書き文字を使うと「そうちょう」):「➀早い朝。朝早く。②朝早く朝廷に出る。」(『新字源』p.606)、ここでは、➀の意味で用いています。

※早暁(早曉)(そうぎよう(さうぎよう))(小書き文字を使うと「そうぎょう」):「朝早く。」(『新字源』p.606)

※蓮花(れんか(れんくわ)):「はすの花。」(『新字源』p.1179)

※江辺(江邊)(こうへん(かうへん)):ここでは、「大きい川の側(そば)。」という意味で用いています。

※好風(こうふう(かうふう)):「気持ちのよい風。」(『新字源』p.325)

※樹木(じゆもく)(小書き文字を使うと「じゅもく」):「地面に生えている木の総称。立ち木。」(Webサイト『コトバンク』の「樹木」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十三日(木)))

※健脚(けんきやく)(小書き文字を使うと「けんきゃく」):「たっしゃな足。足がじょうぶで速く歩けること。」(『新字源』p.94)

※陂塘(ひとう(ひたう)):「つつみ。どて。堤防。」(『新字源』p.1452)

※塘陂(とうひ(たうひ)):ここでは、「つつみ。どて。堤防。」の意味で用いています。「塘」も「陂」も、「つつみ。」という意味の文字です。

※点点(點點)(てんてん(てむてむ)):「➀小さな物が多数ある形容。ぽつぽつ。②しずくのしたたり落ちるさま。」(『新字源』p.1543)

※丹英(たんえい)(=丹花(たんか(たんくわ))):「赤い花。」(『新字源』p.28)

※盤盤(ばんばん):「(1).曲折囘繞貌。(2).寬廣貌。巨大貌。」(『漢語大詞典(かんごだいしてん)』(Webサイト『搜韻(そういん)』の「典故(てんこ)・詞彙(しい)」の「盤盤」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十三日(木))))、つまり、「(1).折れ曲がって蛇行する様。(2).心が広い様。巨大な様。」という意味です。ここでは、(2)の意味で用いています

※曲折(きよくせつ)(小書き文字を使うと「きょくせつ」):「➀折れ曲がる。②こみいったこと。詳しい事情。」(『新字源』p.629)、ここでは、➀の意味で用いています。

※回繞(囘繞)(かいじよう(くわいぜう))(小書き文字を使うと「かいじょう」)(huírào):「曲がりくねる。蛇行する。」(『中日辞典』p.679、北京・商務印書館、小学館、2016年(平成二十八年)十一月二十日発行の第3版)

※寛広(寬廣)(かんこう(くわんこう)):「=かんこう〔くわんこう〕(寛弘〔寬弘〕)」(Webサイト『コトバンク』の「寛広」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十三日(木)))

※寛弘(寬弘)(かんこう(くわんこう))(=寛大(寬大)(かんだい(くわんだい))):「心が広い。心がゆったりしている。寛裕〔かんゆう〕。」(『新字源』p.168)

※寛裕(寬裕)(かんゆう(くわんゆう)):「心が広くてゆったりしている。」(『新字源』p.368)

※翠蓋(すいがい):「(1).飾以翠羽的車蓋。(2).泛指華美的車輛。(3).帝王的代稱。帝王的乘輿有翠羽爲飾的華蓋,故稱。(4).指形如翠蓋的植物莖葉。」(『漢語大詞典(かんごだいしてん)』(Webサイト『搜韻(そういん)』の「典故(てんこ)・詞彙(しい)」の「翠蓋」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十三日(木))))、つまり、「(1).翡翠(かわせみ)の羽で飾った、車の上に立てた、覆いの大きな傘。(2).華やかで美しい車一般を指す。(3).帝王(ていおう)の名称に代えて帝王(ていおう)を指す呼び名。帝王(ていおう:天子(てんし))の車には翡翠(かわせみ)の羽で飾った華蓋(かがい:帝王(ていおう:天子(てんし))或いは有名になって栄えた官僚の車の上にある、古代の一種の、長い柄で丸天井の物(傘)で、その傘の表面の外縁部分に流蘇(りゅうそ:五色の糸を纏めて、垂れ下げるようにした飾り。)があるような、外出時に護衛兵が所持した傘のこと。)があることから、その呼び名が付いた。(4).形が翡翠(かわせみ)の羽で飾った、車の上に立てた覆いの大きな傘のような植物の茎や葉。」という意味です。ここでは、(4)の意味で用いています。

※翠羽(翠羽)(すいう):「かわせみのはね。」(『新字源』p.1079)

※車蓋(しやがい)(小書き文字を使うと「しゃがい」)(=車轓(しやはん)(小書き文字を使うと「しゃはん」)):「車の上に立てた、おおいの大きな傘〔かさ〕」(『新字源』p.1334)

※華美(かび(くわび)):「はなやかで美しいこと。また、はなやかすぎて不相応なこと。また、そのさま。」(Webサイト『コトバンク』の「華美」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十三日(木)))

※華蓋(かがい(くわがい)):「(1).帝王或貴官車上的傘蓋。(2).泛指高貴者所乘之車。(3).古星名,屬紫微垣,共十六星,在五帝座上,今屬仙后座。(4).舊時迷信,以爲人的命運中犯了華蓋星,運気就不好。(5).指雲層上緊貼日月邊緣、輪廓不甚規則、内呈淡靑色、外呈淺棕色的光環。(6).樹名。(7).道教指眉毛。(8).指肺。」(『漢語大詞典(かんごだいしてん)』(Webサイト『搜韻(そういん)』の「典故(てんこ)・詞彙(しい)」の「華蓋」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十三日(木))))、つまり、「(1).帝王(ていおう:天子(てんし))或いは有名になって栄えた官僚の車の上にある、古代の一種の、長い柄で丸天井の物(傘)で、その傘の表面の外縁部分に流蘇(りゅうそ:五色の糸を纏めて、車やカーテンに垂れ下げるようにした飾り。)があるような、外出時に護衛兵が所持した傘のこと。(2).身分が高く尊い人が乗る車を一般に指す。(3).古い星の名前で、紫微垣(しびえん:古代中国の天文学で、北斗星(ほくとせい)よりも北極(ほっきょく)に近い部分で、(万物を想像する神である)天帝(てんてい)の常にいる所とされた星座。天子(てんし)・天位(てんい)・王宮(おうきゅう)に喩える。)に属し、十六個の星々と共に、五帝座(ごていざ:太微垣(たいびえん)の中の最も明るい五つの星のこと。その中心にある五つの星の一つは、現在の獅子座のβ星である。)の上にある、今のカシオペア座を指す。(4).むかしの迷信で、人の命運の中で、華蓋星(かがいせい)を犯すと、運気が良くなくなる。(5).何層にもなっている雲の上に太陽や月の周辺がくっつき、物体の周りの線はあまり規則的ではなく、内側にライトブルーの色の、外側に茶褐色の色の光を放つ環(わ)。(6).立ち木の名前。(7).道教(どうきょう)では眉毛を指す。(8).肺を指す。」という意味です。ここでは、(1)の意味で用いています。

※貴官(きかん(くゐくわん)):「(1).尊貴的官家。指天子。(2).顯貴之官。(3).對爲官者敬稱。」(『漢語大詞典(かんごだいしてん)』(Webサイト『搜韻(そういん)』の「典故(てんこ)・詞彙(しい)」の「貴官」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十三日(木))))、つまり、「(1).極めて身分が高い天子(てんし)のこと。つまり天子(てんし)を指す。(2).有名になって栄えた官僚。(3).官僚となった人に対する敬称。」という意味です。ここでは、(2)の意味で用いています。

※尊貴(そんき(そんくゐ)):「きわめてとうといこと。また、そういう人や、そのさま。」(Webサイト『コトバンク』の「尊貴」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十四日(金)))

※官家(かんか(くわんか)):「➀朝廷〔ちょうてい〕。②天子〔てんし〕。」(『新字源』p.356)、ここでは、②の意味で用いています。

※朝廷(ちようてい(てうてい))(小書き文字を使うと「ちょうてい」):「➀天子〔てんし〕が政治をする場所。②天子〔てんし〕」(『新字源』p.637)、ここでは、➀の意味で用いています。

※天子(てんし):「天下〔てんか〕全体の君主〔くんしゅ〕。天帝〔てんてい〕の子の意。天命〔てんめい〕を受けて天下〔てんか〕を治める者。」(『新字源』p.311)

※天下(てんか):「➀天の下。国全体、または、世界。②天下の人。」(『新字源』p.310)、ここでは、➀の意味で用いています。

※君主(くんしゆ)(小書き文字を使うと「くんしゅ」):「世襲により国家を治める最高位の人。天子〔てんし〕。王。皇帝〔こうてい〕。帝王〔ていおう〕。」(Webサイト『コトバンク』の「君主」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十三日(木)))

※皇帝(こうてい(くわうてい)):「➀むかし、前代の帝王〔ていおう〕をいう。②三皇五帝〔さんこうごてい〕の略。③秦〔しん〕の始皇帝〔しこうてい〕以後、天子〔てんし〕の称。」(『新字源』p.921)、ここでは、③の意味で用いています。

※帝王(ていおう(ていわう)):「1 君主国〔くんしゅこく〕の元首〔げんしゅ〕。天子〔てんし〕。皇帝〔こうてい〕。2 ある分野・社会で、非常に大きな権力や支配力をもつ人。」(Webサイト『コトバンク』の「帝王」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十四日(金)))、ここでは、1の意味で用いています。

※元首(げんしゆ(ぐゑんしゆ))(小書き文字を使うと「げんしゅ」):「➀かしら。②初め。③君主〔くんしゅ〕。今では君主制〔くんしゅせい〕・民主制〔みんしゅせい〕を問わず、国家〔こっか〕の代表者。最高位者。大統領〔だいとうりょう〕・国家主席〔こっかしゅせき〕など。」(『新字源』p.110)、ここでは、

※君主制(くんしゆせい)(小書き文字を使うと「くんしゅせい」):「君主〔くんしゅ〕によって統治される政治形態。憲法〔けんぽう〕などの制度により制約を受ける制限君主制〔せいげんくんしゅせい〕と、君主〔くんしゅ〕の意思が何ものにも制約されない絶対君主制〔ぜったいくんしゅせい〕とがある。王政〔おうせい〕。」(Webサイト『Weblio辞書』の「君主制」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年八月一日(土)))

※共和制(きようわせい)(小書き文字を使うと「きょうわせい」):「世襲〔せしゅう〕による君主制〔くんしゅせい〕に対し、主権〔しゅけん〕が複数者にある政治形態。国家元首〔こっかげんしゅ〕や人民の代表者を間接・直接に選出し、主権〔しゅけん〕が人民にある民主的共和制〔みんしゅてききょうわせい〕と、少数特権階級にのみ主権〔しゅけん〕がある貴族的共和制〔きぞくてききょうわせい・寡頭的共和制〔かとうてききょうわせい〕などがある。共和政体〔きょうわせいたい〕。」(Webサイト『Weblio辞書』の「共和制」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年八月一日(土)))

※民主制(みんしゆせい)(小書き文字を使うと「みんしゅせい」):「統治者〔とうちしゃ〕が多数である政治形態。また、権力が人民全体に属し、その参加により政治が行われる制度。」(Webサイト『Weblio辞書』の「民主制」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年八月一日(土)))

※主権(主權)(しゆけん)(小書き文字を使うと「しゅけん」):「1 国民および領土を統治〔とうち〕する国家の権力。統治権〔とうちけん〕。2 国家が他国からの干渉を受けずに独自の意思決定を行う権利。国家主権〔こっかしゅけん〕。3 国家の政治を最終的に決定する権利。『国民主権〔こくみんしゅけん〕』」(Webサイト『コトバンク』の「主権」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年八月一日(土)))

※統治(とうち):「まとめおさめること。特に、主権者〔しゅけんしゃ〕がその国土・人民を支配し、おさめること。」(Webサイト『goo国語辞書』の「統治」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年八月一日(土)))

※主権者(主權者)(しゆけんしや)(小書き文字を使うと「しゅけんしゃ」):「〔『しゅけんじゃ』とも〕主権〔しゅけん〕を有する者。」(Webサイト『コトバンク』の「主権者」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年八月一日(土)))

※統治者(とうちしや)(小書き文字を使うと「とうちしゃ」):「国家を統治〔とうち〕する者。統治権〔とうちけん〕をもつ者。」(Webサイト『Weblio辞書』の「統治者」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年八月一日(土)))

※統治権(統治權)(とうちけん):「国土・国民を治める権利。主権〔しゅけん〕。旧憲法においては天皇〔てんのう〕の大権〔たいけん〕とされた。」(Webサイト『Weblio辞書』の「統治権」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年八月一日(土)))

※天帝(てんてい):「➀宇宙を支配する神。造物主〔ぞうぶつしゅ〕。②北極星〔ほっきょくせい〕の名。小熊座〔こぐまざ〕のベータ星。」(『新字源』p.312)、ここでは、➀の意味で用いています。

※造物主(ぞうぶつしゆ(ざうぶつしゆ))(小書き文字を使うと「ぞうぶつしゅ」):「万物を想像する神。」(『新字源』p.1360)

※北極星(ほつきよくせい(ほくきよくせい))(小書き文字を使うと「ほっきょくせい」)(=北辰(ほくしん)):「北極の上空に、その位置を変えずにかがやいている星。子〔ね〕の星。ポラリス星。」(『新字源』p.163)

※三皇五帝(さんこうごてい(さむくわうごてい)):「三皇〔さんこう〕と五帝〔ごてい〕。」(『新字源』p.10)

※三皇(さんこう(さむくわう)):「中国太古の伝説上の三人の皇帝〔こうてい〕。㋐天皇〔てんこう〕・地皇〔ちこう〕・人皇〔じんこう〕。㋑燧人〔すいじん〕・伏羲〔ふっき〕・神農〔しんのう〕。㋒伏羲〔ふっき〕・神農〔しんのう〕・女媧〔じょか〕。そのほか諸説がある。」(『新字源』p.10)、ここでは、具体的な名称には触れません。

※五帝(ごてい):「➀中国太古の五人の天子〔てんし〕。諸説あり。㋐黄帝〔こうてい〕・顓頊〔せんぎょく〕・帝嚳〔ていこく〕・堯〔ぎょう〕・舜〔しゅん〕㋑太皞〔たいこう〕・炎帝〔えんてい〕・黄帝〔こうてい〕・少昊〔しょうこう〕・顓頊〔せんぎょく〕。㋒少昊〔しょうこう〕・顓頊〔せんぎょく〕・帝嚳〔ていこく〕・堯〔ぎょう〕・舜〔しゅん〕。②五方の天帝〔てんてい〕。蒼帝(〔そうてい〕:東方)・赤帝(〔せきてい〕:南方)・黄帝(〔こうてい〕:中央)・白帝(〔はくてい〕:西方)・黒帝(〔こくてい〕:北方)。」(『新字源』p.312)、ここでは、➀の意味で用いています(具体的な名称には触れません。)。

※天皇(てんこう(てんくわう)):「➀天の神。天帝〔てんてい〕。②古代神話の神の名。②天子〔てんし〕。中国では、唐〔とう〕の高宗〔こうそう〕が天皇〔てんこう〕と称した。」(『新字源』p.312)、ここでは、②の意味で用いています。

※地皇(ちこう(ちくわう)):「古代伝説上の帝王〔ていおう〕。三皇〔さんこう〕の一人。」(『新字源』p.268)

※人皇(じんこう(じんくわう)):「中国太古の神話的君主〔くんしゅ〕のひとり。」(『新字源』p.49)

※燧人氏(すいじんし):「古代の伝説上の帝王〔ていおう〕の名。はじめて火を取ることを発明し、民に食物を煮ることを教えたという。」(『新字源』p.838)

※伏羲(ふつき(ふくき))(小書き文字を使うと「ふっき」):「中国古代の伝説上の帝王〔ていおう〕の名。はじめて民に漁猟・牧畜を教え、八卦〔はっか〕をえがき、文字を作ったという。庖犧〔ほうぎ〕・宓犧〔ふっき〕」(『新字源』p.65)

※八卦(はつか(はつくわ))(小書き文字を使うと「はっか」):「〔易の〕うらないに用いる八種の卦〔か〕。☰乾〔けん〕・☱兌〔だ〕・☲籬〔り〕・☳震〔しん〕・☴巽〔そん〕・☵坎〔かん〕・☶艮〔ごん〕・☷坤〔こん〕。これらを二つ組み合わせた六十四卦で、森羅万象〔しんらばんしょう〕を象徴させて、吉凶禍福をうらなう。」(『新字源』p.121)

※神農(神農)(しんのう):「➀中国古代伝説上の帝王〔ていおう〕の名。木の徳をもつ伏羲〔ふっき〕を継ぎ、火の徳を有して炎帝〔えんてい〕といい、はじめて人民に農作を教えたので神農氏〔しんのうし〕という。また、医薬の神ともされる。②土地の神。」(『新字源』p.965)、ここでは、➀の意味で用いています。

※女媧氏(じよかし(ぢよくわし)):「中国太古の伝説上の女の天子〔てんし〕。はじめて笙黌〔しょうこう〕などの楽器を作り、また、結婚の制度を定めた。共工〔きょうこう〕と祝融〔しゅくゆう〕が戦い天地がくずれたのを五色の石で補修した。」(『新字源』p.323)

※黄帝(黃帝)(こうてい(くわうてい)):「➀太古の伝説上の帝王〔ていおう〕の名。軒轅氏〔けんえんし〕ともいう。暦算〔れきさん〕・音楽・文学・医薬などを創始した。②五天帝〔ごてんてい〕のひとり。中央・土を支配する。」(『新字源』p.1590)、ここでは、➀の意味で用いています。

※暦算(曆算)(れきさん):「暦〔れきがく〕と算術。暦に関する計算。」(Webサイト『Weblio辞書』の「暦算」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十四日(金)))

※暦学(曆學)(れきがく):「日・月など天体の運行を観測し、暦を作る学問。」(Webサイト『Weblio辞書』「暦学」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十四日(金)))

※算術(さんじゆつ)(小書き文字を使うと「さんじゅつ」):「計算のしかた。算法〔さんぽう〕。数学。」(『新字源』p.1011)

※算法(さんぽう(さんぱふ)):「➀計算の方法。また、計算の規則、②江戸時代、数学のこと。」(Webサイト『Weblio辞書』の「算法」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十四日(金)))、ここでは、➀の意味で用いています。

※顓頊(せんぎよく)(小書き文字を使うと「せんぎょく」):「古代の伝説上の天子〔てんし〕。黄帝〔こうてい〕の孫。高陽(〔こうよう〕:今の河南省〔かなんしょう〕開封市〔かいほうし〕杞県〔きけん〕)に都したので高陽氏〔こうようし〕と号した。」(『新字源』pp.1508-1509)

※共工(きようこう)(小書き文字を使うと「きょうこう」):「➀堯〔ぎょう〕のとき、洪水を治めた官。②舜〔しゅん〕のとき、いろいろな職人を監督した官。③人面蛇身〔じんめんじゃしん〕の神の名。」(『新字源』p.124)、ここでは、③の意味で用いています。

※祝融(しゆくゆう(しゆくいう)):「➀神話時代の神の名。火をつかさどる神。②転じて、火事。火災。③夏の神。また、南方の神。」(『新字源』p.969)、ここでは、➀と③の意味で用いています。

※帝嚳(ていこく):「五帝〔ごてい〕のひとり。帝堯〔ていぎょう〕の父。」(『新字源』p.415)

※帝堯(ていぎよう(ていげう)):「五帝〔ごてい〕のひとり。」(『新字源』p.415)

※堯(ぎよう(げう)):「中国古代の伝説上の帝王〔ていおう〕の名。五帝〔ごてい〕のひとり。帝堯〔ていぎょう〕。姓は伊祁〔いき〕、名は放勛〔ほうくん〕。帝嚳〔ていこく〕の子。山西省〔さんせいしょう〕の平陽〔へいよう〕に都し、陶唐氏〔とうとうし〕と号した。帝舜〔ていしゅん〕とともに中国古代の理想的帝王〔ていおう〕とされる。」(『新字源』p.280の「堯」の字の②)

※帝舜(ていしゆん)(小書き文字を使うと「ていしゅん」):「五帝〔ごてい〕のひとり。」(『新字源』p.415)

※舜(しゆん)(小書き文字を使うと「しゅん」):「中国古代の伝説上の聖天子〔せいてんし〕。五帝〔ごてい〕のひとり。帝舜〔ていしゅん〕。顓頊〔せんぎょく〕七世の孫。号は有虞氏〔ゆうぐし〕。帝堯〔ていぎょう〕から位をゆずられて帝位につき、中国の諸制度を定めたといい、帝堯〔ていぎょう〕とともに古代の理想的帝王〔ていおう〕とされる。」(『新字源』p.1125の「舜」の字の③)

※聖天子(せいてんし):「徳の高い天子〔てんし〕。」(Webサイト『Weblio辞書』の「聖天子」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年八月一日(土)))

※太皞(太暤)(たいこう(たいかう)):「夏の神。」(『新字源』p.922の「皞」の字の④の㋑)

※少皞(少暤)(しようこう(せうかう))(小書き文字を使うと「しょうこう」):「春の神。」(『新字源』p.922の「皞」の字の④の㋐)

※青帝(靑帝)(せいてい):「五天帝〔ごてんてい〕の一。春をつかさどる天帝〔てんてい〕。方位は東、色は青を配する。東帝〔とうてい〕。蒼帝(そうてい)。また転じて、春の異称。」(Webサイト『コトバンク』の「青帝」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十四日(金)))

※赤帝(せきてい):「五天帝〔ごてんてい〕の一つ。南方の神。また、夏をつかさどる神。五行説〔ごぎょうせつ〕で、夏・南にあたる色は赤。」(『新字源』p.1314)

※白帝(はくてい):「五天帝〔ごてんてい〕のひとり。秋・西方をつかさどる神。」(『新字源』p.918)

※黒帝(黑帝)(こくてい):「五天帝〔ごてんてい〕の一つ。北方をつかさどる神。」(『新字源』p.918)

※顕貴(顯貴)(けんき(けんくゐ))(=顕栄(顯榮)(けんえい(けんゑい)))(=顕達(顯達)(けんたつ)):「名があらわれ、身が栄える。有名になり栄える。」(『新字源』p.1508)

※傘蓋(さんがい):「古代一種長柄圓頂、傘面外緣垂有流蘇的儀仗物。」(『漢語大詞典(かんごだいしてん)』(Webサイト『搜韻(そういん)』の「典故(てんこ)・詞彙(しい)」の「傘蓋」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十四日(金))))、つまり、「古代の一種の、長い柄で丸天井の物(傘)で、その傘の表面の外縁部分に、垂れ下がった流蘇(りゅうそ:五色の糸を纏めて、車やカーテンにたれ下げるようにしたかざり。)があるような、帝王(ていおう)や高い官職に就いている人などが外出するときに護衛兵が所持した傘のこと。」という意味です。

※円頂(圓頂)(えんちよう(ゑんちやう))(小書き文字を使うと「えんちょう」)(yuándĭng):「1 丸天井.ドーム.2 天球〔てんきゅう〕.天蓋〔てんがい〕.」(『中日辞典』p.1940、北京・商務印書館、小学館、2016年(平成二十八年)十一月二十日発行の第3版)、ここでは、1の意味で用いています。

※天球(てんきゆう(てんきう))(小書き文字を使うと「てんきゅう」):「地球上の観測者を中心とする半径無限大の仮想の球面。すべての天体がこの球面上にのっていると考える。」(Webサイト『コトバンク』の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十四日(金)))

※天蓋(てんがい):「天。そら。」(『新字源』p.310)

※流蘇(りゆうそ(りうそ))(小書き文字を使うと「りゅうそ」):「五色の糸をまとめて、車やカーテンにたれ下げるようにしたかざり。」(『新字源』p.771)

※儀仗(ぎじよう(ぎぢやう))(小書き文字を使うと「ぎじょう」)(yízhàng):「1 帝王〔ていおう〕・大官〔たいかん〕などが外出するときに護衛兵が所持した旗・傘・扇・武器など.2 国家的な式典の【外国の貴賓を迎える】ときに護衛兵が持つ武器.儀仗(ぎじょう);デモ行進の先頭に立つ人が持つ旗・プラカードなど.」(『中日辞典』p.1857、北京・商務印書館、小学館、2016年(平成二十八年)十一月二十日発行の第3版)、ここでは、1の意味で用いています。

※大官(たいかん(たいくわん)):「➀地位の高い官職。または、高い官職についている人。②卿〔けい〕をいう。③天子〔てんし〕のこと。」(『新字源』p.302の「大官」の部分の🈩)、ここでは、①の意味で用いています。

※卿(けい):「➀きみ。㋐くげ。執政の大臣。㋑特定の官署の長官。②二人称の代名詞。㋐君が臣をよぶ。㋑同じ爵位の者、または爵位の下の者をよぶ。㋒夫婦間で相手をよぶ。③姓にそえる尊称。先生。④めでたい。」(『新字源』p.186の「卿」の文字)、ここでは、①の㋐の意味で用いています。

※高貴(こうき(かうくゐ)):「身分が高くとうとい。また、その人。」(『新字源』p.1544)

※紫微垣(しびえん(しびゑん)):「古代中国の天文学で、北斗星〔ほくとせい〕よりも北極〔ほっきょく〕に近い部分で、天帝〔てんてい〕の常にいる所とされた星座。天子〔てんし〕・天位〔てんい〕・王宮〔おうきゅう〕にたとえる。紫微〔しび〕。紫微宮〔しびきゅう〕。紫宮〔しきゅう〕。紫垣〔しえん〕。」(Webサイト『コトバンク』の「紫微垣」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十四日(金)))

※太微垣(たいびえん(たいびゑん)):「太微垣(たいびえん)とは、古代中国天文学において天球上を3区画に分けた三垣〔さんえん〕の上垣〔じょうえん〕、北斗七星〔ほくとしちせい〕より南、星宿〔せいしゅく〕・張宿〔ちょうしゅく〕・翼宿〔よくしゅく〕・軫宿〔しんしゅく〕より北の区画、あるいはその主体となる星官(〔せいかん〕:星座)を指す。」(Webサイト『Weblio辞書』の「太微垣」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十四日(金))(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 < https://ja.wikipedia.org/ > 「太微垣」(2009/01/28 15:47 UTC版)))

※星宿(せいしゆく)(小書き文字を使うと「せいしゅく」):「➀星座。②星座の名。二十八宿の一つ。ほとおりぼし。うみへび座の第一星を中心とする七星。」(『新字源』p.614)、ここでは、➀の意味で用いています。

※張(ちよう(ちやう))(小書き文字を使うと「ちょう」):「星座の名。二十八宿の一つ。ちりこぼし。」(『新字源』p.448の「張」の字の🈩の⑤)

※翼(よく):「星座の名。二十八宿の一つ。たすきぼし。」(『新字源』p.1081の「翼」の字の⑦)

※軫(しん):「星座の名。二十八宿の一つ。みつかけぼし。」(『新字源』p.1340の「軫」の字の⑧)

※二十八宿(にじゆうはつしゆく(にじふはつしゆく))(小書き文字を使うと「にじゅうはっしゅく」):「むかし、天を東(蒼竜〔そうりょう〕)・西(白虎〔びゃっこ〕)・南(朱雀〔しゅじゃく〕)・北(玄武〔げんぶ〕)の四宮〔しきゅう〕に分け、さらに各宮を七宿〔しちしゅく〕ずつに分けた星座をいう。」(『新字源』p.39)

※四神(四神)(しじん):「天の四方の星宿。青竜(〔せいりょう〕:東)・白虎(〔びゃっこ〕:西)・朱雀(〔しゅじゃく〕:南)・玄武(〔げんぶ〕:北)。四霊〔しれい〕。四獣〔しじゅう〕。」(『新字源』p.255)

※蒼竜(蒼龍)(そうりよう(さうりよう))(小書き文字を使うと「そうりょう」):「➀方位の四神〔しじん〕の一つ。東方をつかさどる。青竜〔せいりょう〕。②星座を五つに分けたうちの一つ。二十八宿〔にじゅうはっしゅく〕中の東の七宿〔しちしゅく〕。角・亢〔こう〕・氐〔てい〕・房・心・尾・箕〔き〕という。③星名。太歳〔たいさい〕④あお色の馬。」(『新字源』p.1173)、ここでは、➀と②の意味で用いています。

※青竜(靑龍)(せいりよう)(小書き文字を使うと「せいりょう」):「➀東方をつかさどる星。四神〔しじん〕の一つ。②蝦蛄〔しゃこ〕の別称。」(『新字源』p.1487)、ここでは、➀の意味で用いています。

※白虎(びやつこ(びやくこ))(小書き文字を使うと「びゃっこ」):「四神〔しじん〕の一つ。西方を守る神。」(『新字源』p.917の「白虎」の部分の🈩)

※朱雀(しゆじやく)(小書き文字を使うと「しゅじゃく」):「➀四方の星座の中で、南方にあたるもの。南方の神。②軍隊で用いる旗じるしの名。③宮城〔きゅうじょう〕の南にある門の名。④長安〔ちょうあん〕の街路の名。⑤橋の名。秦淮〔しんわい〕河にかかる。」(『新字源』p.642)

※宮城(きゆうじよう(きゆうじやう)):「天皇〔てんのう:天子〔てんし〕〕の住居。皇居〔こうきょ〕。」(Webサイト『Weblio辞書』の「宮城」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年八月二日(日)))

※玄武(げんぶ(ぐゑんぶ)):「➀北方の神。また、水の神。形はかめとへびが一つになったさま。四神〔しじん〕の一つ。②玄武〔げんぶ〕をえがいた旗。玄武旗〔げんぶき〕。③北方にあるものの名称。宮城〔きゅうじょう〕の北門を玄武門〔げんぶもん〕というなど。④北方にある七つの星宿〔せいしゅく〕。斗・牛・女・虚・危・空・壁の総称。」(『新字源』p.866)、ここでは、➀と④の意味で用いています。

※三垣(さんえん(さむゑん)):「三垣(さんえん)とは、天球〔てんきゅう〕を天の北極を中心に3つの天区〔てんく〕に分けた紫微垣〔しびえん〕・太微垣〔たいびえん〕・天市垣〔てんしえん〕の総称。またはその基準となった星座(古代中国では星官〔せいかん〕という)。」(Webサイト『Weblio辞書』の「三垣」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十四日(金))(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 < https://ja.wikipedia.org/ > 「三垣」(2020/04/26 08:11 UTC版)))

※五帝座(ごていざ):「太微垣〔たいびえん〕の中の最も明るい五つの星のこと。その中心にある五つの星の一つは、現在の獅子座のβ星である。」という意味です。

※仙后座(せんこうざ)(xiānhòuzuò):「カシオペア座.」(『中日辞典』p.1671、北京・商務印書館、小学館、2016年(平成二十八年)十一月二十日発行の第3版)

※雲層(うんそう)(yúncéng):「群雲(むらくも).何層にもなっている雲.」(『中日辞典』p.1950、北京・商務印書館、小学館、2016年(平成二十八年)十一月二十日発行の第3版」

※群雲(羣雲)(むらくも)(=叢雲(むらくも)):「群がり集まった雲。一群れの雲。」(Webサイト『コトバンク』の「群雲」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十五日(土)))

※緊貼(きんちよう(きんてふ))(jĭntiē):「密着する.くっつく.」(『中日辞典』p.989、北京・商務印書館、小学館、2016年(平成二十八年)十一月二十日発行の第3版)

※辺縁(邊緣)(へんえん)(biānyuán):「(1)1 縁.へり;周辺.2 瀬戸際.境目.(2)周辺的な.境界に近い.二方面または多方面と関係する.」(『中日辞典』p.97、北京・商務印書館、小学館、2016年(平成二十八年)十一月二十日発行の第3版)、ここでは、(1)の1の意味で用いています。

※輪廓(りんかく(りんくわく))(=輪郭(りんかく(りんくわく))):「物体のまわりの線。」(『新字源』p.1343の「輪郭」の部分)

※淡青(淡靑)(たんせい(たむせい))(dànqīng):「薄い青緑色の.ライトブルーの.」(『中日辞典』p.319、北京・商務印書館、小学館、2016年(平成二十八年)十一月二十日発行の第3版)

※光環(こうかん(くわうくわん))(guānghuán):「1 星の環.2 光を放つ環.3 光輪.後光.4 栄誉.」(『中日辞典』p.571、北京・商務印書館、小学館、2016年(平成二十八年)十一月二十日発行の第3版)、ここでは、2の意味で用いています。

※道教(道敎)(どうきよう(どうけう))(小書き文字を使うと「どうきょう」):「➀道に関する教え。儒・道・仏のいずれについてもいう。②戦国時代〔せんごくじだい〕からあった神仙説〔しんせんせつ〕を主体とし、それに老荘〔ろうそう〕の道家思想〔どうかしそう〕などを取り入れて成立した宗教。教団宗教として成立したのは後漢〔ごかん〕末期で、張道陵〔ちょうどうりょう〕の天師道〔てんしどう〕がその最初である。後に仏教の影響を多く受け、主として民間に強い支配力をもった。」(『新字源』p.1371)

※戦国時代(戰國時代)(せんごくじだい):「周〔しゅう〕の威烈王〔いれつおう〕の二十三年(前四〇三)の韓〔かん〕・趙〔ちょう〕・魏〔ぎ〕が晉〔しん〕を分割してから、秦〔しん〕の始皇帝〔しこうてい〕の天下統一(前二二一)までの約百八十年間の乱世。」(『新字源』p.521)

※神仙(神仙)(しんせん)(=神僊(神僊)(しんせん)):「人間界からぬけ出す、不老長生〔ふろうちょうせい〕の世界に遊ぶ者。仙人〔せんにん〕。」(『新字源』p.965)

※道家(どうか(だうか)):「諸子百家〔しょしひゃっか〕の一つ、老子〔ろうし〕・荘子〔そうし〕、およびその説を奉じるものの学派。老荘学派〔ろうそうがくは〕。道〔みち〕すなわち自然をとうとび、人為的な文化生活を否定する。のちに、これから道教〔どうきょう〕が生じた。」(『新字源』p.1371)(今回は辞書のまま書いています。)

※老荘(老莊)(ろうそう(らうさう)):「老子〔ろうし〕と荘子〔そうし〕。また、その学説。」(『新字源』p.1083)

※老子(ろうし(らうし)):「➀周〔しゅう〕代の人。姓は李〔り〕、名は耳〔じ〕、字〔〔あざな〕:成人して付けた名前〕は伯陽〔はくよう〕、謚〔おくりな〕は耼〔たん〕。周〔しゅう〕の守蔵室の役人となったとき、孔子〔こうし〕が礼〔れい〕を学んだという伝説がある。自然をたっとび、人為的な道徳・学問等を否定した。道家〔どうか〕の祖とされ、老子〔ろうし〕は尊称。なお、老子〔ろうし〕については、実在したかどうかなど、種々の説がある。②書名。老子〔ろうし〕の著書。二巻。後世の編ともいう。『道徳経〔どうとくきょう〕』ともいう。③父。④自称。老夫〔ろうふ〕ともいう。」(『新字源』p.1083)、ここでは、➀の意味で用いています(今回は辞書のまま書いています。)。

※荘子(莊子):「🈩そうし(さうし):荘周〔そうしゅう〕の尊称。🈔そうし(さうし)(そうじ(さうじ)):書名。荘周〔そうしゅう〕の著。三十三編。そのうち内編〔ないへん〕七篇だけがやや確かなもので、他の外編〔がいへん〕・雑編〔ざつへん〕は後人の作といわれる。唐〔とう〕の玄宗〔げんそう〕により、『南華真経〔なんげしんぎょう〕』の署名が与えられた。」(『新字源』p.1151)、ここでは、🈩の意味で用いています。

※荘周(莊周)(そうしゆう(さうしう)):「戦国〔せんごく〕時代の道家〔どうか〕の思想家。蒙(〔もう〕:河南省〔かなんしょう〕)の人。孟子〔もうし〕と同時代の人で、終生仕えず、自然に帰れと主張し、孔子〔こうし〕の思想に反対した。唐〔とう〕の玄宗〔げんそう〕は南華真人〔なんげしんじん〕の号を与えた。」(『新字源』p.1151)(今回は辞書のまま書いています。)

※張陵(ちようりよう(ちやうりよう))(小書き文字を使うと「ちょうりょう」):「中国で最も早い時期に創始された道教〔どうきょう〕の教団の一派の五斗米道(〔ごとべいどう〕:天師道〔てんしどう〕)の創始者。孫に張魯〔ちょうろ〕がいて、彼は三国時代〔さんごくじだい〕の直前に漢中〔かんちゅう〕に教団を組織し、建安〔けんあん〕二十年(215年)に曹操〔そうそう〕が攻めて来た時に、倉庫の宝物を封印して逃げたところ、そのことを曹操〔そうそう〕は非常に賞賛し、鎮南将軍〔ちんなんしょうぐん〕の地位を与えられた人物。」という意味です。「張道陵(ちょうどうりょう)」は、別称です。

※漢中(かんちゆう(かんちう))(小書き文字を使うと「かんちゅう」):「秦〔しんだい〕代の郡の名。今の陝西省〔せんせいしょう〕南部、湖北省〔こほくしょう〕北西部の地。郡の役所は南鄭(〔なんてい〕:今の陝西省〔せんせいしょう〕漢中市〔かんちゅうし〕)にあった。劉邦(〔りゅうほう〕:漢〔かん〕の高祖〔こうそ〕)が秦〔しん〕をほろぼしたのちに封〔ほう〕じられた地。」(『新字源』p.795)

※始皇(しこう(しくわう)):「前二五九-前二一〇。秦〔しん〕の初代の天子〔てんし〕。姓は嬴〔えい〕、名は政〔せい〕。戦国〔せんごく〕諸国をほろぼし、前二二一年、皇帝〔こうてい〕の位につき、郡県〔ぐんけん〕制度を行った。また、万里の長城を増築し、咸陽宮〔かんようきゅう〕・阿房宮〔あぼうきゅう〕などを築いた。始皇帝〔しこうてい〕。」(『新字源』p.329)

※高祖(こうそ(かうそ)):「➀祖父の祖父。高祖父〔こうそふ〕。②遠い先祖。③王朝の最初の天子〔てんし〕。漢〔かん〕の高祖(〔こうそ〕:劉邦〔りゅうほう〕)と唐〔とう〕の高祖(〔こうそ〕:李淵〔りえん〕)が有名。」(『新字源』p.1545)、ここでは、③の意味で用いています。

※劉邦(りゆうほう(りうはう))(小書き文字を使うと「りゅうほう」):「前二五六-前一九五。前漢〔ぜんかん〕の初代の皇帝〔こうてい〕。高祖〔こうそ〕。字〔あざな〕は季〔き〕。今の江蘇省〔こうそしょう〕沛県〔はいけん〕の人。秦〔しん〕の二世皇帝〔にせいこうてい〕のとき反乱を起こし、秦〔しん〕を破り、のち項羽〔こうう〕をも破り、漢〔かん〕王朝を建て、長安〔ちょうあん〕に都した。在位、前二〇二-前一九五。」(『新字源』p.155)

※項羽(項羽)(こうう(かうう)):「→項籍〔こうせき〕」(『新字源』p.1500)

※項籍(こうせき(かうせき)):「前二三二-前二〇二。秦〔しん〕末の楚〔そ〕の人。籍〔せき〕は名。字〔あざな〕は羽〔う〕。秦〔しん〕の滅亡後、沛公(〔はいこう〕:劉邦〔りゅうほう〕)と天下〔てんか〕を争って垓下〔がいか〕で敗れ、烏江〔うこう〕で自殺した。鴻門〔こうもん〕の会や、虞美人〔ぐびじん〕と別れをおしんだ『垓下〔がいか〕の歌』で有名。」(『新字源』p.1500)

※鴻門(こうもん):「今の陝西省〔せんせいしょう〕西安市〔せいあんし〕臨潼区〔りんとうく〕にある地名。漢〔かん〕の高祖(〔こうそ〕:劉邦〔りゅうほう〕)と楚〔そ〕の項羽〔こうう〕とが会見した所。」(『新字源』p.1572)

※垓下(がいか):「地名。今の安徽省〔あんきしょう〕霊璧県〔れいへきけん〕の南東。」(『新字源』p.274)

※垓下歌(がいかのうた):「楚〔そ〕の項羽〔こうう〕が、垓下〔がいか〕で漢〔かん〕軍に囲まれたとき、自分の運命をなげき、虞美人〔ぐびじん〕をあわれんで歌った詩。」(『新字源』p.274)

※抜山蓋世(山(やま)を抜(ぬ)き世(よ)を蓋(おお)う(山(やま)を抜(ぬ)き世(よ)を蓋(おほ)ふ)):「力は山を引きぬき、気は世を圧倒する。力の強く気力の雄大なさま。楚〔そ〕の項羽〔こうう〕の歌に基づく。」(『新字源』p.532)、その歌は『垓下歌(がいかのうた)』です。

※虞美人(ぐびじん):「楚〔そ〕の項羽〔こうう〕が寵愛した女性。美人は官名。項羽〔こうう〕が垓下〔がいか〕で敵に囲まれたとき。項羽〔こうう〕の詩に和して舞い、自殺した。」(『新字源』p.1200)

※烏江(うこう):「➀安徽省〔あんきしょう〕和県〔わけん〕の東にあった渡し場の名。秦〔しん〕滅亡後、垓下〔がいか〕の戦いで、楚〔そ〕の項羽〔こうう〕が漢〔かん〕の劉邦(〔りゅうほう〕:高祖〔こうそ〕)に攻められて自殺した所。②黒竜江〔こくりゅうこう〕の別称。」(『新字源』p.824)、ここでは、①の意味で用いています。

※黒竜江(黑龍江)(こくりゆうこう(こくりうかう))(小書き文字を使うと「こくりゅうこう」):「中国とシベリアの境を東流して間宮海峡〔まみやかいきょう〕に注ぐ大河。アムール川。」(『新字源』p.1592)

※李淵(りえん(りゑん)):「五六六-六三五。唐〔とう〕の初代の皇帝〔こうてい〕。字〔あざな〕は叔徳〔しゅくとく〕。謚〔おくりな〕は高祖〔こうそ〕。」(『新字源』p.646)

※曹操(そうそう(さうさう)):「一五五-二二〇。三国〔さんごく〕魏〔ぎ〕の武帝〔ぶてい〕。字〔あざな〕は孟徳〔もうとく〕。政略にとみ、詩文に優れていた。後漢〔ごかん〕の献帝〔けんてい〕のとき、功によって丞相〔じょうしょう〕となり、魏王〔ぎおう〕に封〔ほう〕じられた。死後、その子の曹丕〔そうひ〕が後漢〔ごかん〕を倒して魏〔ぎ〕の初代皇帝〔こうてい〕となり、となり、曹操〔そうそう〕に武帝〔ぶてい〕と謚〔おくりな〕した。」(『新字源』p.630)

※曹丕(そうひ(さうひ)):「一八六-二二六。三国〔さんごく〕魏〔ぎ〕の文帝〔ぶんてい〕。曹操〔そうそう〕の長子。字〔あざな〕は子桓〔しかん〕。父のあとを継ぎ魏王〔ぎおう〕となり、後漢〔ごかん〕の献帝〔けんてい〕にせまって帝位をゆずり受け、在位七年で没した。著に『典論〔てんろん〕』がある。」(『新字源』p.630)

※諸子百家(しよしひやつか(しよしひやくか))(小書き文字を使うと「しょしひゃっか」):「春秋戦国〔しゅんじゅうせんごく〕時代の学者・学派の総称。儒家〔じゅか〕・道家〔どうか〕・墨家〔ぼっか〕・法家〔ほうか〕などの学派や、それぞれに属する学者。また、その著書など。」(『新字源』p.1274)

※儒家(じゆか)(小書き文字を使うと「じゅか」):「孔子〔こうし〕を祖とする学派。また、それに属する者。」(『新字源』p.106)

※孔子(こうし):「前五五二(一説に五五一)-前四七九。春秋〔しゅんじゅう〕時代の思想家。儒教〔じゅきょう〕の始祖。名は丘〔きゅう〕、字〔あざな〕は仲尼〔ちゅうじ〕。魯〔ろ〕の陬邑〔すうゆう〕(今の山東省〔さんとうしょう〕曲阜市〔きょくふし〕)に生まれた。初め魯〔ろ〕に仕え、のち、十余年間、諸国を遊歴〔ゆうれき〕して、諸侯〔しょこう〕に倫理・道徳を説いたが用いられず、晩年は魯〔ろ〕で弟子の教育に専念し、『春秋〔しゅんじゅう〕』を著したと伝えられる。孔夫子〔こうふうし〕ともいう。」(『新字源』p.345)

※儒教(儒敎)(じゆきよう(じゆけう))(小書き文字を使うと「じゅきょう」):「孔子〔こうし〕を祖とする学派の教え。仁義・道徳を説き、身を修め人を治めることを目的とした。」(『新字源』p.107)

※遊歴(遊歷)(ゆうれき(いうれき)):「旅をして各地をめぐる。」(『新字源』p.1373)

※諸侯(しよこう)(小書き文字を使うと「しょこう」):「大名。天子〔てんし〕から土地の領有を認められ君主〔くんしゅ〕になっている者。」(『新字源』p.1274)

※墨家(ぼつか(ぼくか))(小書き文字を使うと「ぼっか」):「墨子〔ぼくし〕の額説を奉じる人。」(『新字源』p.288)

※墨子(ぼくし):「➀墨翟〔ぼくてき〕の尊称。②書名。墨翟〔ぼくてき〕とその学派の学説をしるした書物。現存するのは十五巻五十三編で、兼愛〔けんあい〕・非攻〔ひこう〕・節用〔せつよう〕・非楽〔ひがく〕などの編が名高い。」(『新字源』p.288)、ここでは、➀の意味で用いています。

※墨翟(ぼくてき):「前四六八?-前三七六?。戦国〔せんごく〕時代の宋〔そう〕の人。魯〔ろ〕あるいは楚〔そ〕の人ともいう。人を平等に愛し(兼愛〔けんあい〕)、互いに利益を与えあい(交利〔こうり〕)、倹約をとうとび(節用〔せつよう〕)戦争に反対する(非攻〔ひこう〕)などを主張し、儒家〔じゅか〕と対立して勢力があった。」(『新字源』p.288)

※法家(灋家)(ほうか(はふか)):「➀人の守るべき道をわきまえ、代々続けて君に仕えている臣下。②戦国〔せんごく〕時代の学派の一つ。政治の手段として法律・刑罰を重んじ、富国強兵をはかる学派。商鞅〔しょうおう〕・韓非子〔かんぴし〕など。③法律学者。」(『新字源』p.754)、ここでは、②の意味で用いています。

※商鞅(しようおう(しやうあう))(小書き文字を使うと「しょうおう」):「前三九〇?-前三三八。姓は公孫〔こうそん〕、名は鞅〔おう〕。衛〔えい〕の人だから衛鞅〔えいおう〕ともいい、秦〔しん〕の孝公〔こうこう〕に仕え、於〔お〕・商〔しょう〕の地に封〔ほう〕じられたので商鞅〔しょうおう〕・商君〔しょうくん〕ともいう。秦〔しん〕の法律や土地制度を改め、刑罰をきびしくした。その学説を伝えるものに、『商君書〔しょうくんしょ〕』(『商子〔しょうし〕』ともいう)五巻がある。」(『新字源』p.232)

※韓非(かんぴ):「前二八〇?-前二三三。戦国〔せんごく〕時代の韓〔かん〕の貴族。秦〔しん〕の李斯〔りし〕とともに荀卿〔じゅんけい〕に学び、法家〔ほうか〕思想を大成した。のち秦〔しん〕に使いした始皇帝〔しこうてい〕に認められたが、李斯〔りし〕の反感に遭い自殺させられた。」(『新字源』p.1496)

※韓非子(かんぴし):「➀韓非〔かんぴ〕の尊称。②書名。二十巻。韓非〔かんぴ〕の著。政治の手段として法律・刑罰を重んずることを説く。はじめ『韓子〔かんし〕』と称したが、宋〔そう〕以後、非〔ひ〕の字を加えて韓愈〔かんゆ〕と区別した。」(『新字源』p.1496)、ここでは、➀の意味で述べています。

※李斯(りし):「?-前二〇八。秦[しん]の政治家。楚〔そ〕の上蔡(〔じょうさい〕:河南省〔かなんしょう〕)の人。法家〔ほうか〕〔ではなく儒家〔じゅか〕〕の荀子〔じゅんし〕に学んだ。始皇帝〔しこうてい〕を補佐して丞相〔じょうしょう〕となり、焚書坑儒〔ふんしょこうじゅ〕を行って思想統一をはかり、また郡県制〔ぐんけんせい〕をしき、度量衡〔どりょうこう〕を統一し、文字を統一して小篆〔しょうてん〕を制定するなどしたが、始皇帝〔しこうてい〕の死後、趙高〔ちょうこう〕にあざむかれて刑死した。」(『新字源』p.647)

※荀子(じゆんし)(小書き文字を使うと「じゅんし」):「戦国〔せんごく〕末の儒者〔じゅしゃ〕。趙〔ちょう〕の人。名は況〔きょう〕。楚〔そ〕の春申君〔しゅんしんくん〕に仕えて蘭陵〔らんりょう〕の令〔れい〕となる。孔子〔こうし〕の学を伝えて、礼〔れい〕を重んじ、孟子〔もうし〕の性善説〔せいぜんせつ〕に対して、性悪説〔せいあくせつ〕を主張した。法家〔ほうか〕の学を大成した韓非〔かんぴ〕・李斯〔りし〕はその門人。荀卿〔じゅんけい〕・孫卿〔そんけい〕ともよぶ。②書名。二十巻。荀況〔〔じゅんきょう〕:荀子〔じゅんし〕〕の著書。」(『新字源』p.1149)、ここでは、➀の意味で用いています。

※春申君(しゆんしんくん)(小書き文字を使うと「しゅんしんくん」):「?-前二三八。戦国〔せんごく〕時代の楚〔そ〕の大臣黄歇〔こうあつ〕の封号〔ほうごう〕。頃襄王〔けいじょうおう〕に仕えていたとき、秦〔しん〕に使者として行ったが、太子〔たいし〕の寛〔かん〕と共に人質となり、抑留された。帰国後は、秦〔しん〕の侵略を防いだ功績で、春申君〔しゅんしんくん〕に封〔ほう〕じられた。多くの食客〔しょっかく〕を養ったことで有名。四君〔しくん〕の一人。」(『新字源』p.613)

※封号(ほうごう):ここでは、「領土〔りょうど〕を授かった時に付けられる称号〔しょうごう〕。」を意味しています。

※食客(しょつかく(しよくかく))(小書き文字を使うと「しょっかく」):「➀客分としてかかえられている私的な家来。戦国〔せんごく〕時代にさかんにあったもの。門客〔もんかく〕。②いそうろう。他人の家に寄食〔きしょく〕する者。」(『新字源』p.1518)、ここでは、➀の意味で用いています。

※寄食(きしよく)(小書き文字を使うと「きしょく」):「他人の家に身を寄せて生活する。いそうろうする。」(『新字源』p.364)

※四君(しくん):「➀秦〔しん〕の四人の君主〔くんしゅ〕。穆公〔ぼくこう〕・孝公〔こうこう〕・恵王〔〔けいおう〕:恵文王〔けいぶんおう〕〕・昭王〔〔しょうおう〕:昭襄王〔しょうじょうおう〕〕。②戦国〔せんごく〕時代の四人の貴族〔きぞく〕。斉〔せい〕の孟嘗君〔もうしょうくん〕、趙〔ちょう〕の平原君〔へいげんくん〕、楚〔そ〕の春申君〔しゅんしんくん〕・魏〔ぎ〕の信陵君〔しんりょうくん〕。」(『新字源』p.254)、ここでは、②の意味で用いています。

※穆公(ぼつこう(ぼくこう))(小書き文字を使うと「ぼっこう」):「➀春秋〔しゅんじゅう〕時代、秦〔しん〕の君主〔くんしゅ〕。五覇〔ごは〕のひとり。②戦国〔せんごく〕時代、鄒〔すう〕の君主〔くんしゅ〕。③戦国〔せんごく〕時代、魯〔ろ〕の君主〔くんしゅ〕。」(『新字源』p.988)

※孝公(こうこう(かうこう)):「➀春秋〔しゅんじゅう〕時代、斉〔せい〕の桓公〔かんこう〕に次いで、位についた君主〔くんしゅ〕。②戦国〔せんごく〕時代、秦〔しん〕の君主〔くんしゅ〕の名。」(『新字源』p.347)、ここでは、②の意味で用いています。

※秦孝公(しんのこうこう(しんのかうこう)):「前三六二-前三三八年在位。戦国〔せんごく〕時代の秦〔しん〕国の王。商鞅〔しょうおう〕を用いて富国強兵策をとり、秦〔しん〕国隆盛の基礎をつくった。」(『新字源』p.979)

※秦恵文王(秦惠文王)(しんのけいぶんおう(しんのくゑいぶんわう))(=恵王(惠王)(けいおう(くゑいわう))):「前三三八-前三一一在位。戦国〔せんごく〕時代の秦〔しん〕国の王(二十六代君主。)。秦〔しん〕としては初めて王の号を用いる。秦孝公〔しんのこうこう〕に重用された商鞅〔しょうおう〕の新法に恨みを持ち、商鞅〔しょうおう〕を処刑しつつもその新法を用い、縦横家〔じゅうおうか〕の張儀〔ちょうぎ〕は功績を積んで宰相〔さいしょう〕となるなどして、楚〔そ〕の力を弱めて領土を広げた。」という人物です。

※縦横家(縱橫家)(じゆうおうか(じゆうわうか))(小書き文字を使うと「じゅうおうか」):「➀戦国〔せんごく〕時代の諸子百家〔しょしひゃっか〕の一つ。合従〔がっしょう〕または連衡〔れんこう〕の策を諸侯〔しょこう〕に説いてまわった蘇秦〔そしん〕・張儀〔ちょうぎ〕らの一派をいう。②転じて、両者の間に立って、はかりごとを策する者。策士〔さくし〕。」(『新字源』p.1058)、ここでは、①の意味で用いています。

※蘇秦(そしん):「?-三一七。戦国〔せんごく〕時代の遊説家〔ゆうぜいか〕。合従(〔がっしょう〕:秦〔しん〕以外の六国同盟)策を唱え、六国の大臣を兼任したが、のちに張儀〔ちょうぎ〕の連衡〔れんこう〕策に敗れて暗殺された。同じ遊説家〔ゆうぜいか〕の蘇代〔そだい〕は、その弟。」(『新字源』p.1171)

※張儀(ちようぎ(ちやうぎ))(小書き文字を使うと「ちょうぎ」):「?-前三〇九。戦国〔せんごく〕時代の魏〔ぎ〕の遊説家〔ゆうぜいか〕。蘇秦〔そしん〕とともに鬼谷子〔きこくし〕に学び、諸侯〔しょこう〕のあいだに秦〔しん〕と結ぶ連衡〔れんこう〕策を説いた。秦〔しん〕に仕えて武信君〔ぶしんくん〕と号したが、のち魏〔ぎ〕に帰り、その大臣となった。」(『新字源』p.448)

※合従(合從)(がつしよう)(小書き文字を使うと「がっしょう」)(=合縦(合縱)(がつしよう)(小書き文字を使うと「がっしょう」)):「戦国〔せんごく〕時代、韓〔かん〕・魏〔ぎ〕・趙〔ちょう〕・燕〔えん〕・楚〔そ〕・斉〔せい〕の六国が、南北に同盟して西の秦〔しん〕に対抗すること。従は縦と同じで、たて、南北の意。蘇秦〔そしん〕の説。」(『新字源』p.208)

※連衡(れんこう(れんかう))(=連横(連橫)(れんこう(れんくわう))):「戦国〔せんごく〕時代、張儀〔ちょうぎ〕の主張した説で、韓〔かん〕・魏〔ぎ〕・趙〔ちょう〕・燕〔えん〕・斉〔せい〕・楚〔そ〕の六国を連合して秦〔しん〕に仕えさせて存続をはかろうとする外交策。衡は横と同じく、東西の意。六国は東に、秦〔しん〕は西にあったのでいう。連衡策〔れんこうさく〕。」(『新字源』p.1364)

※斉桓公(齊桓公)(せいのかんこう(せいのくわんこう)):「春秋〔しゅんじゅう〕時代の斉〔せい〕の君主〔くんしゅ〕。名は小白〔しょうはく〕。管仲〔かんちゅう〕を用いて富国強兵をはかり、覇者(〔はしゃ〕:諸侯〔しょこう〕の旗がしら)となった。」(『新字源』p.1601)

※管仲(かんちゆう(くわんちゆう)):「?-前六四五。春秋〔しゅんじゅう〕時代の斉〔せい〕の宰相〔さいしょう〕。字〔あざな〕は夷吾〔いご〕。謚〔おくりな〕は敬〔けい〕。敬仲〔けいちゅう〕・管子〔かんし〕ともいう。わかく貧しいとき、鮑叔〔ほうしゅく〕と親しく、その推挙によって、桓公〔かんこう〕に仕え、親任されて仲父〔ちゅうほ〕とよばれたので管仲〔かんちゅう〕という。桓公〔かんこう〕は、かれの力によって覇者〔はしゃ〕となった。」(『新字源』p.1010)

※鮑叔牙(ほうしゆくが(はうしゆくが))(小書き文字を使うと「ほうしゅくが」):「春秋〔しゅんじゅう〕時代の斉〔せい〕の大夫〔たいふ〕。単に鮑叔〔ほうしゅく〕ともいう。親友〔しんゆう〕の管仲〔かんちゅう〕を桓公〔かんこう〕に推挙して、斉〔せい〕の覇業〔はぎょう〕を達成させた。」(『新字源』p.1557)

※管鮑交(かんぽうのまじわり(くわんぱうのまじはり)):「きわめて親しく信じ合った交わり。春秋〔しゅんじゅう〕時代の斉〔せい〕の政治家管仲〔かんちゅう〕と鮑叔〔ほうしゅく〕との貧しい少年時代の交わりが生涯変わらなかったことをいう。」(『新字源』p.1010)

※秦昭襄王(しんのしようじようおう(しんのせうじやうわう))(小書き文字を使うと「しんのしょうじょうおう」)(=昭王(しようおう(せうわう))(小書き文字を使うと「しょうおう」)):「前三〇六-前二五一在位。魏冄〔ぎぜん〕を宰相〔さいしょう〕に、白起〔はっき〕を将軍に任命して領土を拡げて、更に范雎〔はんしょ〕を宰相〔さいしょう〕に任命して趙〔ちょう〕の国力を衰えさせたが、范雎〔はんしょ〕は白起〔はっき〕との間に溝を生じ、白起〔はっき〕を自刎〔じふん〕させてしまうことによって、秦〔しん〕の兵力の勢いも衰えた。」という人物です。

※范雎(はんしよ(はむしよ))(小書き文字を使うと「はんしょ」):「戦国〔せんごく〕時代の魏〔ぎ〕の弁舌家。秦〔しん〕の昭王〔〔しょうおう〕:秦昭襄王〔しんのしょうじょうおう〕〕に仕えて、遠交近攻〔えんこうきんこう〕の策を用い、功によって応侯〔おうこう〕に封〔ほう〕じられた。雎を睢〔すい〕と書くのは誤り。」(『新字源』p.1144)

※遠交近攻(えんこうきんこう(ゑんかうきんこう)):「遠方の国と仲よくし、近くの国を攻める。」(『新字源』p.1374)

※白起(はつき(はくき))(小書き文字を使うと「はっき」):「戦国〔せんごく〕時代の秦〔しん〕の将軍の名。」(『新字源』p.917)

※魏冄(ぎぜん(ぐゐぜむ)):「戦国〔せんごく〕時代の秦〔しん〕の宰相〔さいしょう〕。秦昭襄王〔しんのしょうじょうおう〕の母親の弟。白起〔はっき〕を登用して将軍にしたことにより、秦〔しん〕の領土を大きく拡げた。」という人物です。

※自刎(じふん)(=自頸(じけい)):「自分で自分の首をはねて死ぬ。」(『新字源』p.1118の「自頸」の部分)

※孟嘗君(もうしようくん(まうしやうくん))(小書き文字を使うと「もうしょうくん」):「戦国〔せんごく〕時代の斉〔せい〕の人。姓は田〔でん〕、名は文〔ぶん〕。斉〔せい〕の大臣となり、食客〔しょっかく〕数千人を養い勢力をふるい、のち魏〔ぎ〕の大臣となり国際的に活躍した。」(『新字源』p.349)

※平原君(へいげんくん(へいぐゑんくん)):「?-前二五一。戦国〔せんごく〕時代、趙〔ちょう〕の武霊王〔ぶれいおう〕の子で、恵文王〔けいぶんおう〕の弟、趙勝〔ちょうしょう〕。平原〔へいげん〕は号〔ごう〕。多くの食客〔しょっかく〕を養った。」(『新字源』p.423)

※趙恵文王(趙惠文王)(ちようのけいぶんおう(てうのくゑいぶんわう))(小書き文字を使うと「ちょうのけいぶんおう」):「戦国〔せんごく〕時代の趙〔ちょう〕の武霊王〔ぶれいおう〕の子。平原君〔へいげんくん〕の兄。名は何〔か〕。廉頗〔れんぱ〕・藺相如〔りんしょうじょ〕・趙奢〔ちょうしゃ〕らを任用し、斉〔せい〕・魏〔ぎ〕と戦って国威を発揚した。」(『新字源』p.1319)

※廉頗(れんぱ(れむぱ)):「?-前二四〇。戦国〔せんごく〕時代の趙〔ちょう〕の武将。恵文王〔けいぶんおう〕および孝成王〔こうせいおう〕のときに斉〔せい〕・秦〔しん〕を破って功をたてた。藺相如〔りんしょうじょ〕との刎頸〔ふんけい〕の交わりは有名。」(『新字源』p.436)

※藺相如(りんしようじよ(りんしやうじよ))(小書き文字を使うと「りんしょうじょ」):「戦国〔せんごく〕時代の趙〔ちょう〕の名臣。恵文王〔けいぶんおう〕に仕え、和氏〔かし〕の璧(〔へき〕:玉〔ぎょく〕)を持って秦〔しん〕に使いし、使命を果たして帰国した。将軍廉頗〔れんぱ〕との『刎頸之交〔ふんけいのまじわり〕』で知られる。」(『新字源』p.1193)

※刎頸之交(ふんけいのまじわり(ふんけいのまじはり)):「おたがいのためには、首をはねられて死んでも悔いないほどの親しい交わり。」(『新字源』p.142)

※完璧(かんぺき(くわんぺき)):「戦国〔せんごく〕時代の趙〔ちょう〕の恵文王〔けいぶんおう〕のとき、藺相如〔りんしょうじょ〕が璧〔たま〕を持って秦〔しん〕に使いして、その璧〔たま〕を無事に持ち帰った故事。転じて、借りた物を無きずで返すこと。」(『新字源』p.354)

※趙奢(ちようしや(てうしや))(小書き文字を使うと「ちょうしゃ」):「戦国〔せんごく〕時代の趙〔ちょう〕の政治家・将軍。趙恵文王〔ちょうのけいぶんおう〕に仕えて閼与〔あつよ〕の戦いで秦〔しん〕軍を敗退させ、それにより廉頗〔れんぱ〕や藺相如〔りんしょうじょ〕と同じ地位に昇格し、馬服君〔ばふくくん〕に封〔ほう〕ぜられた。」という人物です。

※趙武霊王(趙武靈王)(ちようのぶれいおう(てうのぶれいわう))(小書き文字を使うと「ちょうのぶれいおう」):「戦国〔せんごく〕時代の趙〔ちょう〕び六代目君主。其れまでの三人乗りの戦車から騎馬に乗って弓を射るように改めるなど、兵の増強に努め、晩年は公子何〔〔こうしか〕:後の趙恵文王〔ちょうのけいぶんおう〕〕に反乱を起こした公子章〔こうししょう〕を匿った罪で兵に包囲されて餓死した。」という人物です。

※信陵君(しんりようくん)(小書き文字を使うと「しんりょうくん」):「戦国〔せんごく〕時代の魏〔ぎ〕の昭王〔しょうおう〕の子。名は無忌〔むき〕。信陵〔〔しんりょう〕:今の河南省〔かなんしょう〕寧陵県〔ねいりょうけん〕〕に封〔ほう〕ぜられた。食客〔しょっかく〕三千人を養った。諸侯〔しょこう〕はその賢明なことを聞いて、魏〔ぎ〕を攻めなかったという。」(『新字源』p.82)

※魏昭王(ぎのしようおう(ぎのせうわう))(小書き文字を使うと「ぎのしょうおう」):「前二九六-前二七七在位。戦国〔せんごく〕時代の趙〔ちょう〕の第五代君主〔くんしゅ〕。燕〔えん〕の将軍の楽毅〔がっき〕の率いた燕〔えん〕・秦〔しん〕・趙〔ちょう〕・韓〔かん〕の連合軍に加わり、斉〔せい〕軍を撃破した。」という人物です。

※楽毅(樂毅)(がつき(がくき))(小書き文字を使うと「がっき」):「戦国〔せんごく〕時代の燕〔えん〕の将軍。昭王〔しょうおう〕の亜卿(〔あけい〕:次席の宰相〔さいしょう〕)となり、斉〔せい〕を討って七十余城をくだした。昭王〔しょうおう〕の死後、恵王〔けいおう〕に職を免じられたので、趙〔ちょう〕に亡命し、観津〔かんしん〕に封〔ほう〕じられて望諸君〔ぼうしょくん〕と称された。のち、燕〔えん〕・趙〔ちょう〕二国の客卿〔かくけい〕となった。」(『新字源』p.680)

※客卿(かくけい):「他国から来て大臣の位にある者。」(『新字源』p.359)

※性善説(せいぜんせつ):「人は聖人(せいじん)となる種を持っていて、その種を養い育てていくか、駄目にするかで、聖人(せいじん)になるか悪人になるかが分かれるという考え方。孟子(もうし)が唱えた。」という意味です。

※性悪説(性惡説)(せいあくせつ):「人は聖人(せいじん)となる種を持っていないため、悪人になる傾向が強く、それを防止するために、礼(れい)などの教育を行わなければならないという考え方。荀子(じゅんし)が唱えた。」という意味です。

※孟子(もうし(まうし)):「前三七二-前二八九。戦国〔せんごく〕時代の思想家。魯〔ろ〕の鄒(〔すう〕:今の山東省〔さんとうしょう〕鄒県〔すうけん〕地方)の人。名は軻〔か〕、字〔あざな〕は子輿〔しよ〕。また子車〔ししゃ〕・子居〔しきょ〕ともいう。子思(〔しし〕:孔子〔こうし〕の孫)の弟子に学び、のち諸国を周遊〔しゅうゆう〕して性善説〔せいぜんせつ〕をとなえ、王道〔おうどう〕・仁義〔じんぎ〕を説いた。亜星〔あせい〕といわれる。②書名。十四巻。孟子〔もうし〕の言行や学説を記したもの。十三経〔じゅうさんけい〕の一つで、古くは孟子〔もうし〕➀と区別して『もうじ』とも呼んだ。」(『新字源』p.349)、ここでは、人名は➀で、書名は②で用いています。

※周遊(しゆうゆう(しういう))(小書き文字を使うと「しゅうゆう」)(=周游(しゆうゆう(しういう))(小書き文字を使うと「しゅうゆう」)):「各地をめぐってあまねく旅をする。」(『新字源』p.220)

※王道(おうどう(わうだう)):「➀帝王〔ていおう〕として行うべき道。夏〔か〕・殷〔いん〕・周〔しゅう〕三代の公明正大〔こうめいせいだい〕・無私無偏〔むしむへん〕の道。②道徳によって、人民の幸福をはかって天下を治める政治のやり方。孟子〔もうし〕が唱えた。」(『新字源』p.871)、ここでは、②の意味で用いています。

※公明正大(こうめいせいだい):「公平〔こうへい〕で、良心〔りょうしん〕に恥じるところがなく正しいこと。また、そのさま。」(Webサイト『コトバンク』の「公明正大」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十七日(月)))

※公平(こうへい):「すべてのものを同じように扱うこと。判断や処理などが、かたよっていないこと。また、そのさま。」(Webサイト『コトバンク』の「公平」の検索結果 (URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十七日(月)))

※良心(りようしん(りやうしむ)):「ありのままでけがれのない心。」(『新字源』p.1130)

※仁義(じんぎ):「人への思いやりの気持ちである仁〔じん〕と、その仁〔じん〕を元にしている、物事の筋道である義〔ぎ〕を合わせた言葉。」という意味です。

※無私無偏(むしむへん):「個人的な利益や名誉を優先せず、公平〔こうへい〕に判断・行動するさま。 ▽『私』は自分勝手に物事を行うこと。『偏』は判断が偏っている意。」(Webサイト『goo国語辞書』の「無私無偏」の検索結果の一つ目(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十七日(月)))

※無私無偏(むしむへん):「自分の利益を図ったり、一方に偏ったりすることなく公平〔こうへい〕であること。」(Webサイト『goo国語辞書』の「無私無偏」の検索結果の二つ目(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十七日(月)))

※亜聖(亞聖)(あせい):「聖人〔せいじん〕に次ぐりっぱな人。孟子〔もうし〕をいう。」(『新字源』p.44)

※聖人(せいじん):「➀知徳のすぐれた最高の人格者。ひじり。聖者〔せいじゃ〕。②天子〔てんし〕の尊称。③清酒の別称。」(『新字源』p.1089の「聖人」の部分の🈩)、ここでは、➀の意味で用いています。

※十三経(十三經)(じゆうさんけい(じふさんけい))(小書き文字を使うと「じゅうさんけい」):「儒家〔じゅか〕の十三種の基本的な書物。宋〔そう〕の時代に決定された。『周易(〔しゅうえき〕:易経〔えききょう〕)』『尚書(〔しょうしょ〕:書経〔しょきょう〕)』『毛詩(〔もうし〕:詩経〔しきょう〕)』『周礼〔しゅらい〕』『儀礼〔ぎらい〕』『礼記〔らいき〕』『春秋左氏伝〔しゅんじゅうさしでん〕』『春秋公羊伝〔しゅんじゅうくようでん〕』『春秋穀梁伝〔しゅんじゅうこくりょうでん〕』『論語〔ろんご〕』『孝経〔こうきょう〕』『爾雅〔じが〕』『孟子〔もうし〕』。」(『新字源』p.172)

※周易(しゆうえき(しうえき))(小書き文字を使うと「しゅうえき」):「書名。五経〔ごきょう〕の一つ。周〔しゅう〕の文王〔ぶんのう〕や孔子〔こうし〕によって大成されたといわれ、万物の変化の原理と処世訓を述べている。」(『新字源』p.220)

※易経(易經)(えききよう(えききやう))(小書き文字を使うと「えききょう」):「書名。二巻。五経〔ごきょう〕の一つ。うらないの書で、万物の変化と倫理の関係を説く。『周易〔しゅうえき〕』ともいう。」(『新字源』p.607)

※文王(ぶんのう(ぶんわう)):「周〔しゅう〕の最初の天子〔てんし〕。武王〔ぶおう〕の父。名は昌〔しょう〕。殷〔いん〕に仕え、西方諸国を従え、西伯〔せいはく〕と称された。その死後、武王〔ぶおう〕が殷〔いん〕をほろぼして周〔しゅう〕を建て、尊んで文王〔ぶんのう〕と謚〔おくりな〕した。」(『新字源』p.589)

※武王(ぶおう(ぶわう)):「殷〔いん〕をほろぼして周〔しゅう〕王朝を建てた天子〔てんし〕。周武王〔しゅうのぶおう〕。文王〔ぶんのう〕の子で、姓名は姫発〔きはつ〕。武王〔ぶおう〕は謚〔おくりな〕。」(『新字源』p.715)

※尚書(しようしよ(しやうしよ))(小書き文字を使うと「しょうしょ」):「➀書名。五経〔ごきょう〕の一つ。尚は上の意で、上代(〔じょうだい〕:むかし)の聖天子〔せいてんし〕堯〔ぎょう〕・舜〔しゅん〕から夏〔か〕・殷〔いん〕・周〔しゅう〕の三代にわたる伝承的な歴史を書いた書物。『書経〔しょきょう〕』ともいい、略して『書〔しょ〕』ともいう。ただし本来のままのものは散失し、現存のものは晉〔しん〕代の偽作の部分がある。②官名。尚は主(つかさどる)の意で、秦〔しん〕・前漢〔ぜんかん〕時代には少府〔しょうふ〕に属し、宮中で文書の発布をつかさどり、後漢〔ごかん〕になって政治をしめくくる最高の官となったが、のち中書〔ちゅうしょ〕や門下〔もんか〕に権力が移り、隋〔ずい〕・唐〔とう〕になって中書〔ちゅうしょ〕・門下〔もんか〕とならんで三省〔さんしょう〕の一つとなり、尚書省〔しょうしょしょう〕は行政の中央最高官庁となった。長官〔ちょうかん〕は尚書令〔しょうしょれい〕であるが通例任命せず、次官〔じかん〕の僕射〔ぼくや〕が代行し、吏〔り〕・戸〔こ〕・礼〔れい〕・兵〔へい〕・刑〔けい〕・工〔こう〕の六部〔りくぶ〕に分かれて政務を分担した。六部〔りくぶ〕の長官〔ちょうかん〕は尚書(〔しょうしょ〕:たとえば吏部尚書〔りぶしょうしょ〕)という。」(『新字源』p.381)、ここでは、➀の意味で用いています。

※書経(書經)(しよきよう(しよきやう))(小書き文字を使うと「しょきょう」):「書名。五経〔ごきょう〕の一つ。二十巻。虞〔ぐ〕・夏〔か〕・商(〔しょう〕:殷〔いん〕)・周〔しゅう〕の四代の政道〔せいどう〕を記したもの。『尚書〔しょうしょ〕』ともいう。」(『新字源』p.1093)

※毛詩(もうし):「『詩経〔しきょう〕』の別称。『詩経〔しきょう〕』の伝授に諸系統があり、漢〔かん〕初に毛亨(〔もうこう〕:大毛公〔だいもうこう〕)が伝えたのを『毛詩〔もうし〕』という。毛亨〔もうこう〕が『詁訓伝〔こくんでん〕』を作り、門人の毛萇(〔もうちょう〕:小毛公〔しょうもうこう〕)に伝えて行われるようになった。現在の『詩経〔しきょう〕』は、この『毛詩〔もうし〕』である。」(『新字源』p.729)

※毛亨(もうこう(もうかう)):「前漢〔ぜんかん〕の魯〔ろ〕の人。荀子〔じゅんし〕に学び、『詩経〔しきょう〕』を研究して『毛詩詁訓伝〔もうしこくんでん〕』を作った。」(『新字源』p.729)

※詩経(詩經)(しきよう(しきやう))(小書き文字を使うと「しきょう」):「書名。五経〔ごきょう〕の一つ。中国最初の詩集。各地の歌謡三千余編から、孔子〔こうし〕が三百五編を選定したものをいう。国風(〔こくふう〕:諸国の民謡)、小雅〔しょうが〕・大雅(〔たいが〕:宴会儀式の楽歌〔がっか〕)、頌(〔しょう〕:祭典の舞歌)から成る。現在の『詩経〔しきょう〕』は、『毛伝〔もうでん〕』(漢〔かん〕の毛亨〔もうこう〕の注釈)の系統の本で、『毛詩〔もうし〕』ともよぶ。」(『新字源』p.1266)

※楽歌(樂歌)(がつか(がくか))(小書き文字を使うと「がっか」):「音楽に合わせてうたう歌。」(『新字源』p.680)

※周礼(周禮)(しゆらい)(小書き文字を使うと「しゅらい」):「十三経〔じゅうさんけい〕の一つ。周公旦〔しゅうこうたん〕が周〔しゅう〕代の官制〔かんせい〕をしるしたものといわれるが、実際は漢〔かん〕代のもの。『周官〔しゅうかん〕』ともいう。」(『新字源』p.220)

※周公(しゆうこう(しうこう))(小書き文字を使うと「しゅうこう」):「名は旦〔たん〕。文王〔ぶんのう〕の子で武王〔ぶおう〕の弟。武王〔ぶおう〕の子の成王〔せいおう〕を助けて周〔しゅう〕の制度文物を定め、周〔しゅう〕王朝の基礎を築いた。孔子〔こうし〕の理想とした聖人〔せいじん〕。周(〔しゅう〕:陝西省〔せんせいしょう〕岐山県〔きざんけん〕)を治めたので、周公〔しゅうこう〕という。」(『新字源』p.220)

※成王(せいおう(せいわう)):「周〔しゅう〕の武王〔ぶおう〕の子。周成王〔しゅうのせいおう〕。」(『新字源』p.518)

※周官(しゆうかん(しうくわん))(小書き文字を使うと「しゅうかん」):「➀書名。→周礼〔しゅらい〕②『書経〔しょきょう〕』の編名。」(『新字源』p.270)、ここでは、➀の意味で用いています。

※儀礼(儀禮)(ぎらい):「経書〔けいしょ〕。十七巻。周〔しゅう〕代の士〔し〕階級の礼儀を述べたもの。周公旦〔しゅうこうたん〕の作と伝えられるが、春秋〔しゅんじゅう〕時代からしだいに作られたものと思われる。『礼記〔らいき〕』『周礼〔しゅらい〕』とともに三礼〔さんらい〕の一つ。」(『新字源』p.105)

※士(し):「天子〔てんし〕・諸侯〔しょこう〕の臣で、卿〔けい〕や大夫〔たいふ〕の下に位する者。」(『新字源』p.292の「士」の文字の②の㋐)

※礼記(禮記)(らいき):「五経〔ごきょう〕の一つ。四十九編。漢〔かん〕の戴聖(〔たいせい〕:小戴〔しょうたい〕)の編。周〔しゅう〕末から秦〔しん〕・漢〔かん〕にかけての儒者〔じゅしゃ〕の、礼〔れい〕に関する説を集録した書物。戴聖〔たいせい〕のおじの戴徳(〔たいとく〕:大戴〔だいたい〕)の『大戴礼〔だたいれい〕』八十五編に対して、『小戴礼〔しょうたいれい〕』ともいう。『周礼〔しゅらい〕』『儀礼〔ぎらい〕』とあわせて三礼〔さんらい〕という。」(『新字源』p.961)

※大戴礼(大戴禮)(だたいれい):「書名。前漢〔ぜんかん〕の学者戴徳〔たいとく〕の著。礼〔れい〕に関する学説を集めて八十五編に整理したが、現在は三十五編だけ伝わっている。『礼記〔らいき〕』の編者の戴聖〔たいせい〕はそのおいで小戴〔しょうたい〕といい、おじの戴徳〔たいとく〕を大戴〔だいたい〕という。『だたい』はその慣用読みによる。」(『新字源』p.305)

※春秋(しゆんじゆう(しゆんじう))(小書き文字を使うと「しゅんじゅう」):「➀春と秋。②年月。③年齢。④書名。経書〔けいしょ〕の一つ。春秋〔しゅんじゅう〕時代の魯〔ろ〕の隠公〔いんこう〕元年(前七二二)から哀公〔あいこう〕十四年(前四八一)までの魯〔ろ〕の国の歴史を編年体〔へんねんたい〕でしるしたもの。孔子〔こうし〕が編集したといわれる。」(『新字源』p.613)、ここでは、④の意味で用いています。

※春秋伝(春秋傳)(しゆんじゆうでん(しゆんじうでん))(小書き文字を使うと「しゅんじゅうでん」):「『春秋〔しゅんじゅう〕』の本文を解説したもの。左丘明〔さきゅうめい〕の著の『春秋左氏伝〔しゅんじゅうさしでん〕』、公羊高〔くようこう〕の著の『春秋公羊伝〔しゅんじゅうくようでん〕』、穀梁赤〔こくりょうせき〕の著の『春秋穀梁伝〔しゅんじゅうこくりょうでん〕』の三つがあり、春秋三伝〔しゅんじゅうさんでん〕という。」(『新字源』p.613)

※左丘明(さきゆうめい(さきうめい)):「春秋〔しゅんじゅう〕時代、魯〔ろ〕の人。孔子〔こうし〕と同時代、またはそれ以前の人ともいう。左あるいは左丘が姓という。『春秋左氏伝〔しゅんじゅうさしでん〕』の著者と伝えられるが、種々の疑問がある。」(『新字源』p.408)

※公羊高(くようこう(くやうかう)):「戦国〔せんごく〕時代、斉〔せい〕の人。孔子〔こうし〕の弟子の子夏〔しか〕の門人。『春秋公羊伝〔しゅんじゅうくようでん〕』を作った。」(『新字源』p.123)

※子夏(しか):「前五〇七-前四二〇?。孔子〔こうし〕の弟子の卜商〔ぼくしょう〕の字〔あざな〕。文学にすぐれ、孔子〔こうし〕の詩学を伝えた。」(『新字源』p.984)

※穀梁伝(榖梁傳)(こくりようでん(こくりやうでん))(小書き文字を使うと「こくりょうでん」):「書名。二十巻。『春秋穀梁伝〔しゅんじゅうこくりょうでん〕』の略称。『春秋〔しゅんじゅう〕』を解釈したもので、孔子〔こうし〕の門人の子夏〔しか〕の弟子、穀梁赤〔こくりょうせき〕が著した。『左氏伝〔さしでん〕』『公羊伝〔くようでん〕』と合わせて春秋三伝〔しゅんじゅうさんでん〕といわれる。」(『新字源』p.984)

※論語(ろんご):「書名。二十編。孔子〔こうし〕の死後、弟子または孫弟子らが、直接・間接に聞き伝えた孔子〔こうし〕の言行などを集録したもの。四書〔ししょ〕の一つ。」(『新字源』p.1278)

※孝経(孝經)(こうきよう(かうきやう))(小書き文字を使うと「こうきょう」):「書名。一巻。曽子〔そうし〕の門流の著。孔子〔こうし〕が曽子〔そうし〕に説いた孝道〔こうどう〕が記されている。十三経〔じゅうさんけい〕の一つ。」(『新字源』p.347)

※曽子(曾子)(そうし):「曽参〔そうしん〕の学者としての名称。」(『新字源』p.631)

※曽参(曾參)(そうしん(そうしむ))(或いは(そうさん(そうさむ))):「前五〇五-?。孔子〔こうし〕の弟子。曽子〔そうし〕ともいう。魯〔ろ〕の人。名は参、字〔あざな〕は子輿〔しよ〕。親孝行の人として知られ、『孝経〔こうきょう〕』の著者といわれる。名の『参』の読みには、シン・サンの両説があり、古くは朱子〔しゅし〕などもシンと読んでいたが、清〔しん〕の王引之〔おういんし〕は、字〔あざな〕の子輿〔しよ〕と関連する『驂〔さん〕』からサンと読むのを正しいとする。」(『新字源』p.631)

※爾雅(じが):「➀書名。十三経〔じゅうさんけい〕の一つ。周公〔しゅうこう〕が作ったという前漢〔ぜんかん〕ごろ成立した最古の字書〔じしょ〕。②文章・言語が正しく美しい。」(『新字源』p.843)、ここでは、➀の意味で用いています。

※韓愈(かんゆ):「七六八-八二四。中唐〔ちゅうとう〕の文人。唐宋八大家〔とうそうはちたいか〕のひとり。字〔あざな〕は退之〔たいし〕。昌黎(〔しょうれい〕:今の河北省〔かほくしょう〕秦皇島市〔しんこうとうし〕)の人と称したので、昌黎先生〔しょうれいせんせい〕と呼ばれ、文公〔ぶんこう〕と謚〔おくりな〕された。柳宗元〔りゅうそうげん〕とともに、古文復興に努力した。『韓昌黎文集〔かんしょうれいぶんしゅう〕』五十巻がある。」(『新字源』p.1496)

※中唐(ちゆうとう(ちうたう))(小書き文字を使うと「ちゅうとう」):「唐詩〔とうし〕の時代区分を初唐〔しょとう〕・盛唐〔せいとう〕・中唐〔ちゅうとう〕・晩唐〔ばんとう〕とする。中唐〔ちゅうとう〕は代宗〔だいそう〕の大暦〔たいれき〕元年から文宗〔ぶんそう〕の太和〔たいわ〕九年までの約七十年間。韓愈〔かんゆ〕・柳宗元〔りゅうそうげん〕・白居易〔はくきょい〕らの時期。」(『新字源』p.27)

※柳宗元(りゅうそうげん(りうそうぐゑん)):「七七三-八一九。中唐〔ちゅうとう〕の文人。政治家。唐宋八大家〔とうそうはちたいか〕のひとり。河東(〔かとう〕:山西省〔さんせいしょう〕)の人。字〔あざな〕は子厚〔しこう〕。監察御史〔かんさつぎょし〕となったが、王叔文〔おうしゅくぶん〕の事件に連座して、永州〔えいしゅう〕の司馬〔しば〕、ついで柳州〔りゅうしゅう〕の刺史〔しし〕に移されたので、柳柳州〔りゅうりゅうしゅう〕ともいう。韓愈〔かんゆ〕とともに古文復興を提唱した。著書に『柳河東集〔りゅうかとうしゅう〕』がある。」(『新字源』p.660)

※監察御史(かんさつぎよし(かむさつぎよし)):「諸官吏の違法を取りしまり、地方官庁の行政状態を視察してまわる官。」(『新字源』p.927)

※司馬(しば):「➀周〔しゅう〕代の官名。軍事をつかさどる。陸軍大臣。②漢〔かん〕代では大尉〔たいい〕を大司馬〔だいしば〕といったことがある。③唐〔とう〕代、州の刺史〔しし〕に属する官で、別駕〔べつが〕・長吏〔ちょうり〕の下である。」(『新字源』p.203)、ここでは、③の意味で用いています。

※刺史(しし):「漢〔かん〕の武帝〔ぶてい〕のとき、天下〔てんか〕が十三州に分けられ、州内の郡や国の政治を視察・報告させるために中央から派遣された官。州牧〔しゅうぼく〕ともいう。のち州の数がふえ面積が小さくなり、また、刺史〔しし〕が地方に常置されるようになった。唐〔とう〕では、郡を州とよぶようになったので、郡守〔ぐんしゅ〕と刺史〔しし〕とは同じ官の異称となった。」(『新字源』p.147)

※漢武帝(かんのぶてい):「前一四〇-前八七在位。世祖〔せいそ〕。孝武帝〔こうぶてい〕。名は徹〔てつ〕。匈奴〔きょうど〕を討伐し、西域・安南・朝鮮を経略し、儒教〔じゅきょう〕を政治・教化のもといとした。」(『新字源』p.795)

※白居易(はくきよい)(小書き文字を使うと「はくきょい」):「七七二-八四六。中唐〔ちゅうとう〕の詩人。太原〔たいげん〕の人。字〔あざな〕は楽天〔らくてん〕。号は香山居士〔こうざんこじ〕。進士〔しんし〕に及第し、翰林学士〔かんりんがくし〕となったが、一時、地方官に落とされ、のち中央に帰り、刑部尚書(〔けいぶしょうしょ〕:法務大臣)になった。その詩は平易流暢〔りゅうちょう〕で、日本でも早くから愛誦された。有名な詩に『長恨歌〔ちょうごんか〕』がある。」(『新字源』p.917)

※翰林院(かんりんいん(かんりむゐん)):「唐〔とう〕代に設けられた官庁。初め学士院〔がくしいん〕といい、その官を翰林学士〔かんりんがくし〕といって、天子〔てんし〕の詔勅〔しょうちょく〕の作成をつかさどり、明〔みん〕代に翰林院〔かんりんいん〕と改名された。そこに勤務する者は、特に優秀な学者で、名誉な官であった。」(『新字源』p.1081)

※詔勅(しようちよく(せうちよく))(小書き文字を使うと「しょうちょく」):「天皇〔〔てんのう〕:天子〔てんし〕〕の発する公式文書の総称。」(Webサイト『Weblio辞書』の「詔勅」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月三十日(木)))

※長恨歌(ちようごんか(ちやうごんか))(小書き文字を使うと「ちょうごんか」):「中唐〔ちゅうとう〕の白居易〔はくきょい〕の作。玄宗〔げんそう〕皇帝〔こうてい〕と楊貴妃〔ようきひ〕との恋愛を詠じた叙事詩。七言、百二十句からなる。日本文学におよぼした影響は大きい。」(『新字源』p.1437)

※玄宗(げんそう(ぐゑんそう)):「六八五-七六二。唐〔とう〕の第六代の皇帝〔こうてい〕。姓は李〔り〕、名は隆基〔りゅうき〕、謚〔おくりな〕は明皇〔めいこう〕。天下〔てんか〕をよく治め、『開元〔かいげん〕の治』と称された。のちに楊貴妃〔ようきひ〕を愛して政治をおこたったので、安禄山〔あんろくざん〕の乱が起こり、蜀〔しょく〕にのがれた。乱の平定後、長安〔ちょうあん〕に帰り、位を子の粛宗〔しゅくそう〕にゆずり、太上皇帝〔たいじょうこうてい〕とよばれた。」(『新字源』p.866)

※楊貴妃(ようきひ(やうくゐひ)):「七一九-七五六。唐〔とう〕の玄宗〔げんそう〕皇帝〔こうてい〕の愛妃。名は玉環〔ぎょくかん〕、号は太真〔たいしん〕。七四五年(天宝四年)貴妃(〔きひ〕:皇帝〔こうてい〕に次ぐ正一品〔しょういっぽん〕の女官)となったが、安禄山〔あんろくざん〕の乱で、玄宗〔げんそう〕について蜀(〔しょく〕:今の四川省〔しせんしょう〕)にのがれる途中、馬嵬坡〔ばかいは〕で官軍に殺された。」(『新字源』p.684)

※安禄山(安祿山)(あんろくざん):「?-七五七。唐〔とう〕の営州〔えいしゅう〕柳城〔りゅうじょう〕生まれの胡人〔こじん〕。本姓は康〔こう〕。母が安氏〔あんし〕と再婚したので安氏〔あんし〕を名のった。軍功があり、玄宗〔げんそう〕のとき節度使〔せつどし〕に任じられ、楊貴妃〔ようきひ〕に愛されたが、楊貴妃〔ようきひ〕の兄の楊国忠〔ようこくちゅう〕と反目し、天宝十四年(七五五)乱をおこし、長安〔ちょうあん〕を攻め、翌年帝位について雄武皇帝〔ゆうぶこうてい〕と称し、国を燕〔えん〕と号したが、のちその子に殺された。」(『新字源』p.353)

※長安(ちようあん(ちやうあん))(小書き文字を使うと「ちょうあん」):「前漢〔ぜんかん〕・隋〔ずい〕・唐〔とう〕などの都。今の陝西省〔せんせいしょう〕西安市〔せいあんし〕付近。」(『新字源』p.1436)

※楊国忠(楊國忠)(ようこくちゆう(やうこくちう)):「?-756。唐〔とう〕代の人。初めの名は釗〔しょう〕。楊貴妃〔ようきひ〕の一族で、宰相〔さいしょう〕となり、玄宗〔げんそう〕から国忠〔こくちゅう〕の名をたまわった。安禄山〔あんろくざん〕の乱で、楊貴妃〔ようきひ〕とともに殺された。」(『新字源』p.684)

※迤邐(いり)(=迤靡(いび)):「連なり続くさま。」(『新字源』p.1354の「迤靡」の部分)

※漣漪(れんい):「さざなみがたつ。さざなみ。小波。細波。」(『新字源』p.804)

※玉露(ぎよくろ)(小書き文字を使うと「ぎょくろ」):「美しいつゆ。」(『新字源』p.869)

※仙葩(せんは):「仙界的異草奇花。」(『漢語大詞典(かんごだいしてん)』(Webサイト『搜韻(そういん)』の「典故(てんこ)・詞彙(しい)」の「仙葩」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十九日(水))))、つまり、「名誉や金銭に惹かれる気持ちを離れた気高い地の珍しい花や草。」という意味です。

※仙界(せんかい):「仙人の住む所。俗気をはなれた気高い地。」(『新字源』p.56)

※俗気(俗氣)(ぞくけ):「俗っぽい気持ち。名誉や金銭にひかれる気持ち。ぞくき。」(Webサイト『コトバンク』の「俗気」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月二十九日(水)))

※奇花異草(きかいそう(きくわいさう))(qíhuāyìcăo):「珍しい花や草。」(『中日辞典』p.1206、北京・商務印書館、小学館、2016年(平成二十八年)十一月二十日発行の第3版)

※君子(くんし):「➀才徳〔能力と徳〕のある人。②官職にある人。有位者。③君主。④妻が夫をさしていう称。⑤学問・修養に志す人。⑥梅・竹・蘭・菊の雅称。」(『新字源』p.213)、ここでは、①の意味で用いています。

※君子花(くんしか(くんしくわ)):「➀蓮〔はす〕の別称。②菊の別称。」(『新字源』p.213)、ここでは、①の意味で用いています。これは蓮(はす)の花が泥から水面の上に出て、泥に染まることなく、茎が空に向かって真っ直ぐに伸びている姿を、君子(くんし)が汚れた流れと行動を共にせず、胸の内は心が大きく、小事に拘らない様子で、正しくて真っ直ぐな美しい徳を象徴し、ここから蓮(はす)の花を「君子花(くんしか)」と呼んでいるのです(宋(そう)の周敦頤(しゅうとんい)の『愛蓮説(あいれんせつ)』より)。

(ちなみに、②は、明(みん)の高啓(こうけい)の「菊隣(きくりん)」という詩に、次の一節があります。

菊 本 君 子 花  菊(きく)は本(もと) 君子(くんし)の花(はな)

幽 姿 可 相 親  幽姿(いうし) 相(あひ) 親(した)しむべし

「幽(いう)」の新仮名遣いは「ゆう」
「相(あひ)」の新仮名遣いは「あい」

(現代語訳)菊は元々、能力と徳のある君子(くんし)の花なのです。
その奥深く、物静かで、品がある姿には、(そんな菊の姿に対して、)親しむことが出来るのです。

つまり、奥深く物静かで、品がある姿に君子(くんし)を見ているのです。)

※幽姿(ゆうし(いうし)):「幽雅的姿態。」(『漢語大詞典(かんごだいしてん)』(Webサイト『搜韻(そういん)』の「典故(てんこ)・詞彙(しい)」の「幽姿」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月三十日(木))))、つまり、「奥深く、物静かで、品がある姿。」という意味です。

※幽雅(ゆうが(いうが)):「幽靜雅致。」(『漢語大詞典(かんごだいしてん)』(Webサイト『搜韻(そういん)』の「典故(てんこ)・詞彙(しい)」の「幽雅」の検索結果(URLは省略しています。)(アクセス日:令和二年七月三十日(木))))、つまり、「奥深く、物静かで、品がある。」という意味です。

※幽静(幽靜)(ゆうせい(いうせい))(=幽寂(ゆうじやく(いうじやく))(小書き文字を使うと「ゆうじゃく」)):「奥深く、もの静かなこと。おくゆかしくひっそりしている。」(『新字源』p.427の「幽寂」の部分)

※雅致(がち)(yăzhi):「(服装・用具・家具・家屋などが)さっぱりしていて上品なこと.品がある.」(『中日辞典』p.1800、北京・商務印書館、小学館、2016年(平成二十八年)十一月二十日発行の第3版)

※姿態(したい):「すがた。からだつき。」(『新字源』p.333)

※美人(びじん):「➀顔かたちの美しい女性。②君主のたとえ。③才徳のすぐれた人。賢人。④美男子。美丈夫。⑤女官の身分の一つ。⑥虹の別称。⑦うめの別称。」(『新字源』p.1074)、ここでは、①の意味で用いています。

※脳裏(のうり(なうり))(=脳裡(のうり(なうり))):「頭の中。心のうち。」(『新字源』p.1107)

※行吟(こうぎん(かうぎむ)):「歩きながら詩などを歌う。」(『新字源』p.1224)

※襟中(きんちゆう(きむちう)):ここでは、「胸の内。」という意味で用いています。

※作句(さつく(さくく))(小書き文字を使うと「さっく」):ここでは、「詩句を作ること。」という意味で用いています。

※壮観(壯觀)(そうかん(さうくわん)):「大きくりっぱな見もの。さかんなながめ。」(『新字源』p.293)

※酔筆(醉筆)(すいひつ)(=酔墨(醉墨)(すいぼく)):「酒の酔いにまかせてかいた書や絵。」(『新字源』p.1396)


●解説:

 今回は、陰暦七月の秋の初めの、その場の事を詠んだ七言絶句の漢詩と、朝早くに、蓮(はす)を眺める様子を、五言排律の漢詩に詠んだものの二首です。

 一首目は、陰暦七月の秋の初め、まだ暑さの残る時期の様子を詠みました。秋の報せとして、梧桐(あおぎり)の木が葉を落とすという光景が出てきます。こんな時期から落葉が始まっていることで秋を知るようになるわけです。雨上がりのコオロギの鳴き声には秋の様々な気持ちを感じるようになる、そんな光景を詠んでいました。秋がやって来ても、新型コロナウイルスはまだ以前と同様に脅威になっていて、水害も日本を襲っている、季節は早くに移り変わるのに、脅威は何も変わらない状況を悲しんでいます。本当にこれ以上の被害が出ないようにと願っています。

 二首目は、早朝に蓮(はす)の開花を眺める様子を詠んでいました。比較的近所では、淀川(よどがわ)の側にある公園の池で蓮(はす)を眺めることが出来ます。泥の上に蓮(はす)の葉があって花が咲いて、泥に染まっていない美しい姿を見ますと、その清らかさに、節操を保ち、能力や徳のある君子(くんし)や、顔形の美しい女性の姿を想像することが出来るようです。そんな蓮(はす)の花を眺めていると、酒に酔った勢いで詩歌を作り、更に酒を酌んで楽しむ、そんな光景を詠んでいます。私は実際には車椅子生活ですので、自由に外の景色を見て回ることは困難ですが、その点を記憶と学習で補っていきます。そして公園内でお酒を飲むことは実際にはありませんが、そういった大きな気持ちになることが出来る状況を、良いなと思って漢詩を作っていました。そんな漢詩を作る中でも、世界にとって、そして日本にとっても厳しい日々が続きますが、体調に気を付けて私も頑張っていきます。


佐村 昌哉(筆名:白川 玄齋)

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